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vol.01 日本企業の成り立ちと近代経営の確立

総務省統計局の調べによれば、日本に存在する企業の数は、546万社以上あるとされています(「日本の統計2014」第6章 企業活動 より)。では、546万社にも及ぶ日本企業は、どのような理念を掲げ、どのような特色ある事業活動を展開しているのでしょうか。日本企業の成り立ちや変遷を紐解きながら、日本企業ならではの特色と、その存在価値に迫ってみましょう。

江戸時代に花開いた“日本の企業”

日本で1番最初に設立された“企業”は?――日本企業の始まりについて調べてみると、飛鳥時代に創業した会社を始め、長い歴史をもつ“老舗企業”がいくつも存在することがわかります。特に江戸時代に創業した企業は数多く、江戸時代には日本のビジネスの原点があると推測されます。

江戸時代に創業した企業は、たとえば百貨店や酒造会社、製薬会社等が挙げられます。また、建設会社の中にも江戸初期に創業した会社があります。このほか、調味料会社や製油会社など、数百年と続く老舗企業は決して少なくありません。皆さんも、業界研究や企業研究を通じて、「こんなに歴史の長い企業があるんだ」と驚いたことがあるかもしれません。

江戸時代の企業の特徴は、商人たちが独自の商法を生み出し、ビジネスの形を築き上げていった点にあります。特に鎖国によって海外との貿易が規制されてからは、国内で堅実な商いを展開する商人が数多く出てきました。“堅実で正直な商い”をモットーとし、商いに対する考えを定めた“家訓”に従い、創業者の子孫まで商いを引き継いでいく。このような形で、家業の繁栄を目指していったのです。

そして、商家の多くが奉公人と呼ばれる従業員を雇っていました。奉公人は丁稚から手代、番頭へと昇格していき、中には、“のれん分け”をして独立した奉公人もいたといいます。また、江戸時代には“帳合表”を用いてお金を管理していました。これは、単式簿記を用いた帳簿で、今の会計制度のルーツと言われるものです。

近代化が一気に進んだ明治時代。企業のあり方にも変化が。

幕末から明治時代にかけて、日本の経済環境が大きく変わります。きっかけは、1953年のペリー来航。開港により欧米諸国との貿易が始まり、流通機構に大きな混乱を来たしました。この時代の変化に乗ることができず、没落した商家もいます。

しかし、環境が大きく変わったとしても、むしろその変化を商機と捉え、果敢に商売を拡大した商人も数多く存在しました。彼らの多くが従来の慣例にとらわれず、有能な番頭に強力な権限を与えるなどして、新時代に対応していったといいます。そして、新たな技術を導入したり、いち早く情報を収集するなどして、事業基盤を確立・強化していきました。

鎖国を終えた日本は、急速に工業化と近代化を進めていくこととなります。新時代に必要な産業とは? 新時代に必要な企業のあり方とは? 旧社会の価値観を捨て、明治の時代にふさわしいビジネスを確立する必要があったのです。たとえば、実業家の渋谷栄一は、明治時代に株式会社制度の導入を試みた実業家として知られています。また、この時期に、新たな財閥が生まれたり、江戸時代に創業した財閥が改革を進めるなどしました。

また、明治時代には国民教育の重要性が叫ばれ、小学校が義務教育化。同時に、帝国大学令の公布や私学の設立により、高等教育機関が整備されました。こうして教育の基盤が築かれたことから、日本企業にも変化が生まれます。「一族の子孫や番頭に会社を任せる」という従来の方法から、「高等教育機関で学んだ人材を採用する」という新しい方法へとシフトする企業が増えてきたのです。高等教育者を積極的に採用することで、企業は規模拡大を実現していきました。

金融制度の確立と、紡績業の発展

1872年、明治政府はアメリカのナショナルバンク・システムにならって、国立銀行条例を公布しました。その後、条例の改正などを経て、近代型の金融制度が確立されていきます。普通銀行以外にも、外国為替専門の銀行が発足したり、政策金融を担う銀行が生まれたりと、さまざまな形の銀行がこの時期に設立されています。また、近代型保険会社も次々と生まれています。

明治時代は、紡績業が発展したことでも知られています。紡績業の3大始祖と呼ばれる企業が、国内に紡績所を設立。1890年恐慌の後も大量生産への転換や、織布業との兼業などを進め、巨大な資本をもつ一大産業へと発展していきました。そして、日清戦争後には8大紡と呼ばれる大手紡績会社が独占。日露戦争後には6大紡の独占が確立し、中国や朝鮮への進出を果たしました。

このほか、明治初期に勢いのあった業種――酒造業、織物、生糸、醤油、味噌、紙などの近代化についても紹介しましょう。これらは伝統的製法によってつくられていましたが、たとえば織物業で小型発電機や電力などの動力を導入。製糸業も、イタリア式の製糸機械を参考に国内機械がつくられ、これらの普及により、製造方法の近代化が一気に進みました。

まとめ

江戸時代に生まれた“商い”が、やがて時代の大きな波に巻き込まれながらも、その変化に対応することで、いくつもの企業が生き残りました。「堅実で正直な商い」を良しとしていた江戸時代の考えを引き継ぎながらも、どんな変化にも対応すべく新たな挑戦を続けていく――この時期の日本企業から読み取れるのは、“たくましくも誠実な日本企業ならではの価値観”なのです。

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