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vol.02 大戦景気の突入と世界的恐慌の影響

大戦景気で重化学工業が発展。経営の近代化が進む。

1914年、第一次世界大戦が勃発。為替相場が混乱を来したことから、日本は一時的に不況に見舞われましたが、すぐに景気を取り戻しました。交戦国から軍需品や日用品の注文が殺到したからです。
軍需拡大によるこの景気は“大戦景気”と呼ばれ、日本経済の発展を下支えしました。造船業や鉄鋼業などが急速に成長し、三大財閥と呼ばれる企業が重化学工業へ進出。財閥が事業の多角化を進めると共に、財閥の直系会社を株式会社に改組。多角的事業経営に対応する形に整備していきました。これにより企業の組織構造が大きく変わり、経営の合理化や資産の効率的運用、役職者ポストの確保などが実現しました。また、重化学工業の発展により、雇用も拡大。特に都心部において、労働者人口が急増しました。

1918年に終戦を迎え、戦後恐慌が始まる1920年まで大戦景気は続きました。1920年代に入ると、不況による企業合併が進み、大企業が続々と生まれました。これらの大企業は、複数の事業所や工場を経営し、購買や生産、販売などの組織を経営内部に統合。各組織の管理を徹底するなど、“近代産業企業”の特徴をもっていました。高等教育機関で学んだ人材がこれらの大企業に就職しており、近代産業企業の発展と共に経営に参加するように。同じように高等教育機関で学んだ“後輩の学卒者”を積極的に採用するようになりました。

一方、外資系企業が日本に進出を始めたのも、この時期でした。日清戦争の勝利を機に、日本は対外資政策を“排除策”から“導入策”に転換。外資系企業の経営活動が進み、第一次世界大戦を経て本格化しました。外資系企業の多くが、世界的規模で事業展開を行っている多国籍企業。最新鋭の技術や経営組織、豊富な情報をもっており、石油精製など“新興重工業分野”と言われる産業の発展に貢献していきました。

戦前の日本において最も深刻な昭和恐慌の発生

今でこそ当たり前のように行われている企業の広報活動。1920年代に、先進的な取り組みが行われるようになりました。それまで新聞広告がメインでしたが、洋酒や新調味料、洋菓子が登場してからは、ポスターを掲示したり、パンフレットを配布。また、車内広告や消費者の前での実演宣伝などを行う企業も現れました。

一方、大正時代から昭和時代にかかるこの時期、日本はたびたび恐慌に見舞われました。中でも、1929年10月、ニューヨーク株式市場の暴落を機に始まった世界恐慌は世界中を巻き込み、戦前の日本における最大規模の“昭和恐慌”を起こしました。大戦景気が崩壊したことで日本の銀行は不良債権を大量に抱え、その後の金融政策により、デフレが到来したのです。

恐慌に直面した日本の企業は、生産量を増加することで利益を維持する施策を打ち出しました。そのため、物価の下落が急激に進んでしまいます。価格低下を少しでも抑えるため、多くの産業が“カルテル”を形成。国も、重要産業統制法を制定して、カルテルによる産業の自主統制を支援するようになりました。

1931年、日本は管理通貨制に移行。低為替・低金利・財政拡大などを打ち出したことで、日本の工業分野は早期に景気を持ち直しました。1935年頃に景気回復がほぼ達成されたため、国は経済政策を転換。軍事費膨張の抑制が図られました。

航空機産業が拡大。軽工業も生き残りをかけて転業や多角化を図る。

1937年に勃発した日中戦争もまた、日本経済に大きな影響をもたらしました。軍需産業が急速に発展し、特に航空機分野における拡大が進んだのです。日中戦争が始まるまでの10年間、機体生産数はわずか6,000機。これが日中戦争の翌年になると、わずか1年間で3,000機もの航空機が製造されました。航空機メーカーは軍需に応じるため、設備の拡大を次々と行って生産を増大。生産方式の改善も進めていきました。また、中小企業に資本を投じて傘下に置くなど、航空機産業の一大グループを築く企業も現れました。

航空機産業が発展していった一方、軽工業は“不要な産業”として抑制が進みました。企業整備の対象とされた中小企業は廃業転業を余儀なくされていったのです。中でも顕著だったのが綿紡産業で、3回にわたる整備計画によって縮小が図られました。

このような厳しい状況の中で、生き残った企業も存在します。重化学工業への転換を図った企業や、他企業を買収することによって生き残った企業など。ある繊維企業は事業を多角化することでリスクを減らし、総合繊維企業として規模を拡大していきました。

まとめ

この時期の日本企業を理解するキーワードは“恐慌”と“軍需”。第一次世界大戦や日中戦争など、戦争時には軍事需要が拡大し、日本企業は大きく発展しました。非軍需産業が縮小し、廃業に迫られた企業もありましたが、事業の多角化を図ったり、経営の効率化を進めた企業もありました。戦争も恐慌も“商機”と捉え、これまでのしきたりやルールに縛られることなく、時代に合った形で発展を遂げていった日本企業。そして、この直後に勃発した第二次世界大戦を経て、日本は“高度成長期”を迎えます。年間の経済成長率が平均10%を超えたこの時期、日本の企業はどのような変化を遂げたのでしょうか。第3回でご紹介します。

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