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最終更新日:2025/5/12
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仕事内容日経クロステック編集(日経FinTech編集長)
『日経FinTech』という金融テクノロジーを追いかけるメディアの編集長を務めています。仕事の内容は、雑誌の企画立案、取材および記事の執筆、記事の査読、カンファレンスやセミナーなどのイベント企画です。媒体知名度を高めるために外部のイベントで講演やモデレーターを引き受けるのも大切な仕事です。 一般的には、編集長が自ら記事を書くケースは少ないと思いますが、『日経FinTech』は機動力のある小さなチームで、全員がプレーヤー。編集長も記者と一緒にコンテンツを作っています。 出版社の事業というと、記事やコンテンツを作って届けることが主務と思われることが多いのですが、「良質なコンテンツを届ける」という視点に立てば、多様な事業に挑戦できると感じています。むしろ、そうしたことをゼロベースで考えなくてはいけないという危機感があります。 『日経FinTech』は、FinTechという成長市場にプラスになることなら「なんでもやる」ことを当初からモットーとしていました。結果、雑誌はあくまで『日経FinTech』というメディアの中の1つのサービスと位置づけ、創刊時から多様な商品やサービス、事業に挑んでいます。
自分の手で作ったプロダクトを「名前入り」で世の中に送り出せる。これに尽きますね。自分自身が商品であるとも言えるかもしれません。 原則、日経BPの記事には署名が入ります。これは1年目の新人も、20年のキャリアを持つ記者も変わりません。責任が重いとも言えますが、記事に対して大きなうねりのような反響や反応があったときは、直接自分への評価として還元されます。記事を書く過程には葛藤や悩みが絶えません。一方、書き上げた記事への反響は「自分のもの」。その機会が若手にもベテランにも平等に与えられているのが醍醐味だと思います。 僕自身の記者デビューは、入社初日でした。企業の記者会見に出向き、その内容をオンライン媒体で記事にしました。当然先輩記者に何度も修正され、僕が書いた文字はほとんど残りませんでした。それでも、自分の署名入りの記事を出せたことがうれしくて、帰りの電車の中から、両親と友人に記事のリンクを送ったことを昨日のことのように覚えています。
橋や船の設計士をしていた父の影響です。彼の背中を見ながら、漠然と自分もものづくりに関わりたいと思うようになっていました。 新卒で入社したのは電機メーカー。営業職でしたが、ものづくりで世の中の役に立っている実感はありました。同僚にも恵まれ、仕事も楽しかった。一方で、入社して4年ほどたったころ、自らの手でものをつくりたいという気持ちが沸いてきました。メディアの仕事なら可能性がある。そう考え始めていた時にたまたま見つけたのが、日経BPの求人広告でした。転職活動をしていたわけではありません。仕事で購読していた『日経コミュニケーション』(当時、2017年休刊)に記者職の求人情報が掲載されていたのです。もし縁があったら迷わず入社するとだけ決めて、応募しました。
やはり媒体創刊ですね。入社して4年目。それまで『日経コンピュータ』という媒体で記者をしていましたが、新媒体の創刊メンバーになり、半年の準備期間で創刊しました。 日経BPは、新しい市場や業界が立ち上がるときにいち早くそこに「旗」を立てることを目的として、メディアを創刊します。旗を立てることで、人や情報がそこに集まりますし、市場の活性化を促します。『日経FinTech』もまさに、市場が夜明けを迎えようとするタイミングに船出したメディアでした。 もともと、当時の編集長が何でもやろうという発想の人。『日経FinTech』の創刊と同時に、500ページ超の『FinTech世界年鑑』を発刊、間を置かずに月刊誌やオンライン媒体も立ち上げていきました。『FinTech世界年鑑』が刷り上がった夜には、チームメンバーと安居酒屋で朝まで飲み明かしました。そのときのハイボールのおいしさは忘れられません。今振り返ると文字通り心身共につらい仕事だったのは間違いありません。ただ、もう一度創刊をしたいかと問われれば、迷わず手を挙げます。