オピニオンリーダーに聞く チーム医療Vol.1 鎌田 實 「命の伴走者」として、医療者は何ができるのか?

鎌田實氏は、大きな赤字を抱え苦況に喘いでいた長野県の諏訪中央病院に赴任。住民とともに作る医療を実践し、見事に経営を立て直して、患者さんはもちろんのこと、若い医療者たちが日本中から集まる病院となった。そんな奇跡を可能にしたのは、いったい何だったのか? 多種多様な医療の現場で、医療者はどんな心構えを持つべきかを鎌田氏に伺った。

命のバトンが渡される縦のつながりを大切に

僕が諏訪中央病院に赴任したとき、 乳がんが肺に転移したおばあちゃんが入院していました。自力で十分に酸素が吸えないので、管を通して呼吸を維持していた。苦しそうにぜえぜえ言いながら、それでも歩行訓練をしていたので、「おばあちゃん、もう無理しなくていいよ」と僕は言いました。すると、「先生、放っといてください。私の人生なんだから」と怒られたんです。「先生は、よそから来た人だから、この土地の習慣を知らないだろうけど、今は梅を漬ける季節なんです。だから、私はどうしても梅を漬けるために一日でもいいから家に帰りたい」と。彼女は、自分の漬けた梅が食べごろになる時まで命が持たないことは知っている。でも、子供や孫のために梅を漬けておきたいという一心だったんです。間もなく、ここが頃合いだとおばあちゃん自身が判断して、PTや看護師、若い研修医などが付き添って一日だけ家に帰り、梅を漬けることができました。

そして彼女は、いよいよ命が尽きるというとき、「先生、もう心残りはありません。満足です」と言って旅立っていったんです。なんで自分は癌になってしまったんだとか、どうして末期なんだとか、そういう愚痴は一切ない。一生懸命歩行訓練をして、自分のためではなく、子供のため、孫のために梅を漬けて、いつか食べられる時期が来て、自分を思い出しながら食べてくれたら…ということなんですね。

僕は、人と人との横のつながりを大切にして、ずっと地域医療に取り組んできました。でも、最近気づいたのは、横のつながりも大事だけれど、このような縦の人と人とのつながりというものもあるんじゃないかということなんです。
自分はいつか死ぬ、それはしょうがないこと。でも、梅を漬けたおばあちゃんのように、自分の持っているバトンを引き継いでくれる人がいると思ったとき、人生に納得できるようになる。周りの人も、おばあちゃんは亡くなってしまったけれど、大切なものを教えられた。だから、自分たちも一生懸命生きなければいけないなと思えば、気持ちが穏やかになります。

医療のプロフェッショナルも、縦のつながりを意識して看護に当たると、患者さんも家族もずいぶん救われると思います。
この患者さんに、自分は何をしてあげられるのかということを考えるときに、何が○(正解)で何が×(不正解)かという二項対立ではなくて、その間に無数にある△を考えていけばいいと思うんです。そういう意味で、社会復帰の手伝いをする場合も、最期の時を全うする場面に立ち会う場合も、患者さんの人生に伴走していくという意識を持っていて欲しいと思います。自分の中に、そのような確かな軸、考え方があれば、どんな病院に行っても大丈夫なんです。ちょっとくらい不満を感じても、それを改善していく面白さが見つけられるんですから。

医師になりたいという僕の
大きな壁となった父の存在

僕が医師になろうと思ったのは、家がものすごく貧乏だったので、医師になれば貧しさから脱出できるだろうという、嫌な下心からでした。それを打ち砕いてくれたのが父親だったんです。高校3年生になる直前、大学へ行きたいと言ったら、「ばかやろう! 勉強なんてする必要はない。貧乏人は働けばいいんだ」と言われて大反対されました。小学校しか出ていない父親にすれば、当然の結論だったかもしれません。それからの僕は、親を恨み、どうしたらわかってもらえるかと悶々と悩みました。お金がなくて本が買えなかったので、学校の図書館で本を借りて読みながら、ひたすら考えたんです。クローニンというイギリスの作家の全集に、青年医師が貧しい炭鉱町に行って、人々を救うという話がありました。それに感銘を受けた僕は、自分が貧乏を脱出するためというより、苦しい人や貧しい人たちを助けるために医師になりたいと思うようになり、動機が変わっていったんです。

相変わらず父は反対し続けていましたが、夏ごろになってとうとう許してくれました。「お前に自由をやろう。ただし、自分のことは自分で責任を持て。うちのような貧乏人が医者にかかると、どれだけ経済的に大変かを忘れるな。弱い人や貧しい人のことを忘れなければ、自由にしていい」と言ってくれたんです。小学校しか出ていない親父なのに、ずいぶんカッコいいことを言ったものです。そうやって父が僕の前に大きな壁となって立ち塞がってくれたおかげで、今の僕があると思ってます。

当初僕は、つぶれそうな田舎の病院に行って、そこを日本一いい病院、若い医師がどんどん集まるような病院にして、それを達成したらアフリカに行くという夢を持っていました。元気な間はアフリカで恵まれない子供たちの面倒を見て、年を取ったら日本に帰ってきて無医村に行き、人生を終えようと考えていたんです。でも、父の岩次郎のことを考えると、自分の人生観は横に置いておいて、岩次郎さんの恩義に報いなければならないと思うようになりました。だから、病院のそばに「岩次郎小屋」と名付けたログハウスを建て、東京から岩次郎さんを呼んで最期を看取ったんです。

実は岩次郎さんと母は、本当の親に捨てられた僕を拾って育ててくれた、大切な恩人なんですよ。僕は毎朝4時半に起きるんですが、すぐにコーヒーを一杯入れて、半分は岩次郎さんの仏壇に捧げ、あとの半分は自分がいただいて一日が始まります。この人のことは、僕が生きている限り忘れない。そうやって手を合わせている限り、世界の危険な地域に行っても、守られているという気がしてなりません。僕は権力におもねって、権力者の言いなりにならないで、あえて貧しい人、庶民の側に立って発言したり、医療を行ったりしてきました。岩次郎さんは天国から僕を見て、「偉いぞ」「良いぞ」、と言ってくれているような気がします。この朝のひとときは、自分にとってなくてはならない時間です。

PROFILE

鎌田 實(Minoru Kamata)
医師・作家
東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県・諏訪中央病院へ赴任。30代で院長となり、つぶれかけていた病院を再生させた。医師として地域医療に携わるかたわら、チェルノブイリ、イラク、東日本大震災の被災地支援などにも取り組んでいる。
  • 書籍人間らしくヘンテコでいい(集英社)
    人間が幸せに生きるのに、本当に必要なものは何か。鎌田氏が遠いルーツを求めて人類発祥の地アフリカほか各地を訪ね、あらゆる人種と触れ合ってみつけた答えは、人間らしければ「ヘンテコでいい」だった。日々不安を抱え、弱気になりがちな人に贈る、生き方のコツ。
  • 書籍がんばらない(集英社)
    本当に豊かな生、また死とはなんだろう。延命だけの治療に批判的であり、患者の側に立った医療を目指している名物医が、日々患者やその家族に接する中で綴った、感動エッセイ。多くの人に感銘と勇気を与え、TVドラマ化されるなど、鎌田氏を一躍著名にしたベストセラー。