Project story

倉田 壮哉

倉田 壮哉 2005年入社

営業部長

日本を代表する
ファストファッション企業との
取引を受注

三菱商事ファッション(以下、MCF)では、ファッションビジネスにおける最強のパートナーとして、顧客のブランドコンセプトや要望に合った商品企画の提案から物流のコントロールに至るまで、すべての工程におけるソリューションを提供している。
アパレルメーカーを取り巻く環境が大きく変化する昨今、安定的な供給を可能にする生産体制の確立は事業拡大の重要な鍵を握る。2009年の三社統合当時にはなかった海外拠点を、中国を皮切りに香港やベトナムなどに複数設け、強固なグローバルネットワークを構築。ベトナム・カンボジアに次ぐ新たな産地をインドネシアに定め、ジャカルタに有力な工場を開拓すると、日本を代表する大手ファストファッション企業(以下、A社)から受注が。それにより、現地での生産管理業務を担う一大プロジェクトがスタートした。

日本を代表するファストファッション企業との取引を受注

ミッションは、5000人規模の3工場運営と人材発掘

プロジェクトが始動した2011年は、A社にとって飛躍の時期であった。ヒット商品を連発するなか、ファストファッション界全体の盛り上がりを受け、さらなる成長を見据えた生産ラインの増強が急務。プロジェクトリーダーとして白羽の矢が立ったのが、当時ベトナムに駐在していた倉田。与えられたミッションは、ジャカルタにおけるA社取引チームの編成だ。5000人規模の3工場を運営するため、現地ナショナルスタッフの採用が急がれた。
「就任時は、事務所の登記など基本的なセットアップが終わった段階で、所長が現地で採用したマネージャー1名がいるだけ。このスタッフにはA社との取引経験がなかったため、生産管理方法などを指導、育成しながら実業務をスタートさせました」。

当時、既にA社向けの量産は月産数十万点規模に拡大しており、取引工場数も段階的に増えることが計画されていた。最速でのチーム作りを求められる状況下で、スタッフ採用は予想以上に難航。「毎週のように十数人ほど面接していました。学歴も高く、語学力も申し分ないのですが、こちらが求めるクオリティの高さに音を上げるケースも多く、なかなか定着しませんでした」。
追い打ちをかけるように倉田の苦難は続く。時を同じくして、A社の事務所がジャカルタに設立され、担当者が頻繁に工場を訪れるように。A社は品質のみならず、工場管理のマニュアルを事細かに設定しており、厳しいチェックが入った。報告書類の作成など対応に追われる倉田。しかし、他の欧米メーカーと比較しても高いA社の品質を守るため、困惑する工場との間に立ち、高難易度の業務をこなす日々。はやる気持ちに対し、先行き不透明な現実が重くのしかかった。

ミッションは、5000人規模の3工場運営と人材発掘

文化や価値観の違いを受け入れ、現地スタッフとの絆が芽生える

文化や価値観の違いを受け入れ、現地スタッフとの絆が芽生える
「人員採用が計画通り進まなければ、自分1人で複数工場の現場生産管理を全うする他ない」。半ば開き直った心境で採用活動を進めること数か月、ようやく兆しが見えてきた。採用基準を学歴や即戦力となる経験値よりも、胆力や人間性を重視する方針に切り替え、将来性を見て判断するように。
「現地マネージャーに、インドネシア人の特性などを聞いて見極めていきました。素直な人が多いので、YESかNOかをはっきりと言ってくれる。面接では、仕事の難しさを包み隠さず伝えた上で、それでも働きたいと言ってくれる人を優先的に採用しました」。
結果、“ナショナルスタッフ6名の採用”という立ち上げ当初の目標を約1年で達成。定着したメンバーとはかたい絆が芽生えたという。
「MCFは日系企業ですが、やはり外国に行けばそこの文化を尊重すべきだと思ったので、宗教など日本とは異なる価値観や慣習も受け入れながらスタッフと接しました。おかげでスタッフ間は風通しもよく、私自身も厳しい場面があってもポジティブに働けましたね。彼らは日本人以上に勤勉な部分があり、どんなときも最後まで責任を持って任務を全うしてくれます。つらいことも、ともに乗り越えたことで強固な信頼関係が結べたのだと思います」。

工場の生産ラインが200に増加、出荷額3倍を突破する成果

倉田は、工場での生産管理業務についてこのように語る。
「新たな商談をまとめてくる営業主担当がピッチャーとすると、生産工場にいる私たちはキャッチャーです。営業主担当からの企画をどう受け止めるか、他部署とも連携しながら具体的な着地点を探っていきました」。
A社の製品は生産数が膨大な分、生産後に品質問題が判明するとリカバリーが効かない。資材のロスや納期の遅れにつながるため、いかにサンプル段階でチェックするかが重要となる。そのため、企画進捗担当とは綿密な打ち合わせを重ね、量産に向けて懸念事項を洗い出し、A社側に共有。事故発生防止に努めた。
「さまざまな要望に応え続けるうちに、『この人に頼めば問題ないだろう』と任せてもらえる部分が多くなりました。逆に、A社の担当者には社内での難しい提案を通していただけるようになったり。ギブアンドテイクの精神で、公私問わず濃い関係性を築けたのは、私にとっても大きな学びになりました。どんな仕事も、最終的には人間力なんだなと感じましたね」。
倉田がジャカルタに駐在していた4年間で、人員は15名に。また、当初の生産ラインは20だったところ、ある工場ではA社専用の建屋を増築するなど、工場3つで計200ラインを超えるほどに。結果的に、3倍以上の出荷額を叩き出し、工場は現在も安定した運営を続けている。
「プレッシャーも大きかったですが、チームリーダーとしてマネジメントのノウハウを得られ、自信が付きました。社内でも期待値の高いプロジェクトを一任いただき、これだけの経験が積めるのは、MCFならではといえるかもしれません」。
今後は、複数の顧客に価値提供できる産地開拓プロジェクトに関わりたいと、将来を見据える倉田。これからもアパレル業界全体の期待に応え続けるべく、MCFの挑戦は続く。

工場の生産ラインが200に増加、出荷額3倍を突破する成果