パナソニック株式会社
取締役 常務執行役員CHRO
加藤 直浩

愛知県出身。パナソニック入社後、一貫して人事畑を歩む。北米勤務、インダストリー事業部門HRヘッド、オートモーティブ事業部門HRヘッド等を経て現職。

昭和から平成に変わり、バブルで日本が浮かれていた頃。ごく普通の学生生活を過ごしていた私はある日、沸き上がってくる漠然とした焦りを払拭するため、「旅に出よう」と決めた。
行先はアメリカ。大学で一体何をしたかったのか?自分は将来、何になりたいのか?全く違う環境に飛び込めば、そんな焦りを打ち消すヒントが見つかるかもしれない。バイト代で買った格安チケットとパスポートを握りしめて、人生初の海外へ。大学三年の夏、30日間の旅をスタートさせた。
現地では、とにかく人と話すことに熱中した。英語は流暢ではなかったし、当時はスマホも翻訳機もない。それでも、観光案内所や大学のキャンパス、バーや街中など、あらゆる場所で、あらゆる国の人々に勇気を振り絞って自分から話しかけた。話が弾むことがあれば、無視されたこともある。温かいもてなしを受けた日もあれば、危険な目にあった日もあるが、夢中だった。楽しかったのだ。
旅程は事前に計画せず、寄り道を繰り返して、ロサンゼルスからニューヨークへ。道中では、それまでにない気づきも多かった。街を歩いているだけで感じるほどの貧富の差には、衝撃を受けた。また、商業地やビジネス街では、日本企業のロゴをいくつも目にしたことも驚きだった。私はそれらを、どこか頼もしい気持ちで見上げた。もちろん、「Panasonic」のロゴも。
日本に帰る頃にはもう「グローバルメーカーで仕事をしよう」と決めていた。国内外の人々の生活を豊かにすることができる仕事をしたい。日本には世界で勝負できる企業がたくさんある。それは現地で見た景色が証明していた。
海外赴任の話を請けたことも、自分にとって当然の選択だった。海外で働くことの魅力は、やはり自由さ。今でこそ、日本のカルチャーも変わってきたが、当時は上意下達の傾向がまだ強く、ルールに縛られていることも少なくなかった。比べて海外では、成果は求められるが、やり方は自由。その分、責任も大きくシビアな面もあるが、やりがいもまた大きかった。
海外赴任中にも多くの経験をしたが、現地の人々と共に仕事を成し遂げた際に味わった、甘苦の記憶は鮮明だ。知らない人と話し、異文化に触れることが、自分にとって最大の喜びなのだから。それに気づかせてくれたのが、アメリカを夢中で旅した、学生時代のあの夏の30日間だ。
学生への応援メッセージ
未知のものに触れることで新しい価値を見出し、自分を発見するプロセスを、ロジックではなく体験して欲しいと思います。失敗を恐れず、自分のコンフォートゾーンから出て、興味のあることはどんどんやってみる。待つだけではヒントは出ません。どんな結果でも、やってよかったと思うはずです。
世の中は必ず変化します。変化に追いつくのではなく、リードする方を目指すくらいの気持ちでいて欲しいなと思います。