知らない友達

学生の皆さん、大人の友達っていますか?

私は良くも悪くもお利口さんだったので、大人というのは基本的に「すごく気を遣う存在」だった。親も先生も好きだったけど、「正しいことを言ってくる人たち」という印象が強かった。あんまり子供の気持ちとか分からないんだろうなと思っていたし、私自身も、大人たちが普段何を考えているのかいまいち分からなかった。

中学生時代に聴き始めたラジオ

思えば、初めて大人を友達のように思えたのがラジオだった。
「今日、コンビニでこんなことがあってさー、」
全く会ったことも無い、知らない大人がそんなふうに話してくれるのが新鮮だったし嬉しかった。確かに向こうは大人だから物事の見え方や考え方は自分と違ったし、中学生の会話には絶対に出てこないような仕事場でのエピソード、なんなら自分とは程遠い芸能界のエピソードも多かった。でも、話を聞く中で「なんかその感情分かるな」って思うことも多かった。
普段のお仕事や年齢、住んでいる場所は自分と全然違うのに、「分かるな」って思えるのは、やっぱりそういう表面的な境遇に左右されない人間の深い部分が見えた時だったりするわけで。深い部分というのは、おそらく皆があえて誰かに言う訳でもなく持っている、欲とか悲しみとか愛情とか恥ずかしさとかそういった人間らしい部分。直接的にそういう話をしていなくても、話の端々にその人の人間らしさが垣間見えると「自分と一緒だ」と嬉しくなった。

夜の職員室とラジオ

冒頭に、先生は「すごく気を遣う存在」だったと書いてしまったが、実はそんな先生方に関する好きな時間があった。それは夜の職員室だった。

私は、デザインが学べる高校に進学したかったので、受験期は夜遅くまで学校に残ってデッサンをし、終わったら部屋の鍵を職員室に返しに行ってから帰るのが毎日のルーティーンだった。私は、その鍵を返しに入る職員室の雰囲気がとても好きだった。こちらでは机に突っ伏して仮眠をとる先生がいたり、いつもは怖いおばちゃん先生が若い女の先生と楽しそうに話していたり、奥には、菓子パンを齧りながら「丸つけ終わんなーい」ってボヤいている先生がいたり。日中はテキパキしている先生しか見ないから余計にギャップに萌えていたのかもしれない。「なんだ、私と一緒じゃん」って。

これって、私がラジオに感じている魅力と近いものがあるんじゃないかと思う。分かり合うことを半ば諦めている・・・というかそもそもそういう関係を構築していくような相手じゃないって思っていた人の中に、自分とお揃いの部分を見つけたときに勝手に嬉しくなってしまうのは私だけだろうか。普通は仲良くなってからお揃いのものを買ったりするものだが、元々お揃いだったものに気づかせて、安心させてくれるのがラジオだと思う。

推しのラジオは聞きたくない!?

ただ、中には「推しのプライベートを知りたくない」という理由で、好きな芸能人のトークを聞くことを意識的に避けている人もいる。「何で?むしろ推しを深く知っていく過程が楽しかったりするもんじゃないの?」そう思った私は「推しのプライベートを知りたくない派」の方が書いた記事をいくつか読んだ。彼らの意見としては

○その人が作る作品は好きだけど、休みの日にどう過ごすかとか、芸能人の誰と仲が良いかとかはどうでもいい、というか知りたくない。
○推しのプライベートは知りたいけど、異性絡みの話は知りたくない。
○自分が作り上げた推しの理想像を壊して欲しくない。

などがあった。

私はふと思った。
「あれ、私ってラジオパーソナリティのプライベートが知りたくて、その人の情報を求めてラジオを聴いているんだっけ?」
そこで私は、自分がラジオに求めていたものが“情報”ではなく、“関係性”だったと初めて自覚した。
考えてみれば、私もパーソナリティのプライベートに関して拒否まではいかなくとも、大した興味は無かったことに気付かされた。ラジオトーク番組であれば、パーソナリティの自由な喋りやその話す内容がそのまま番組のコンテンツになっていることが多い。でも、彼らの今週の出来事を知ることは私にとっては「ついで」のことで、番組を聴く一番の理由では無かった。

私がラジオを聴く一番の理由

だったら、何を楽しみにラジオをつけるのか。私は、パーソナリティが自身の声で、私個人に(?)今週あったことを話してくれる、生のテンションを共有してくれるというその関係性に心地よさを感じていた。それはおそらく、私がパーソナリティのことを友達のように思っているから。友達だから、基本何を話してくれてもそれ自体が嬉しいのだ。
こんなに一方通行な友情なのに、寂しくないのもラジオの不思議なところである。お互いに相手に対する責任がないこの距離感も、ちょうど良いのかもしれない。

ただ、ラジオパーソナリティというのはメディアの中の人なので、見る人、聞く人によっていろんな関係性に置き換えられている。ある人にとっては親戚のおじさん、ある人にとっては地元の先輩、ある人にとっては恋愛的に意識する人なのである。もしかしたら、妖精さんとか王子様とかアニメキャラクターみたいなファンタジックな存在として捉えている人もいるかもしれない。
確かに、そのパーソナリティに対して思っている像があまりにキラキラしていたり、神聖なものだったりする場合、ラジオの友達のような距離感はその人を応援する上でノイズになったりするのかも。

もしそういった理由でラジオを聞かないという人がいれば、そんなに推していない人や、よく知らない人のラジオを聴き始めてみることをおすすめしたい。毎週少しずつその人の像が作られていくので、実際の人間関係にかなり近いし、最初から理想も何もないのでギャップに萎えることもなく楽しむことができると思う。例えば、音楽が好きだったら、あまり詳しくない作曲家のラジオを聞くと、音楽を作る人ならではの視点を知れたり、曲を作る上でのボヤきが聞けたりして面白いと思う。でも推しの情報は入ってこない!

このようにラジオにはいろんな楽しみ方がある。
ラジオは単に情報をくれる機械じゃない。
視聴者とパーソナリティとの間に唯一無二の関係性、世界観を作る装置なのである。

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