一人映画は、未完成な感想を残せる時間だった

先日、国宝を観た。
すべての瞬間が惹き込まれる、映像美を極めた映画だった。
こういう映画こそ、映画館で見るべきだと思った。

一方で、期待しすぎた自分がいる。
映画を観終わった後、最初に浮かんだのは
「あれだけ大絶賛されていた映画だったから、少し物足りない感じ」
という感想だった。

自分の映画メモにはこう綴った。

映像美が素晴らしい作品。
3時間の映画で途中つまらなくなるかと思ったが、そんなことはなくすべてのシーンに惹き込まれる魅力があった。
一方で、世の中の絶賛の声で期待しすぎていたところがあったため、評価は4に留めておく。

渡辺謙演じる花井家当主の花井半二郎の、病院での稽古シーンは印象的だった。
そのシーンで指摘されていた、吉沢亮演じる喜久雄の演技は私にとって違いを見つけるのが難しかった。
映画全体の演技に関しては感心させられながらも、私にこの良さをすべて理解するのはまだまだ先の話か、一生理解できないのかもしれないと思わされるほど、繊細な演技だった。
また、歌舞伎の演目を知っていればもっと楽しめたのだと思う。

喜久雄が求めた景色は、人間国宝の万菊がみせた雪景色だったと解釈したが、果たして正解なのだろうか。(違うにしても彼にとって雪景色は、父親が死ぬ瞬間・歌舞伎に魅了された瞬間として重要な要素だったと思う。)

この映画でまだ自分の中で良い解釈が見つかってないのが、高畑充希演じる春江の行動である。なぜ春江は、喜久雄を振ったあとすぐに俊介につくことにしたのか?これを理解するには、私は未熟すぎるのだろうか?

この映画はただ観て完結という映画ではないように思った。自分の中でひとつひとつ噛み砕きたい。

ここまでメモを書いたとき、ふと気づいた。

この感想は、一人で観たからこそ書けたものだと思う。

友人と観ていたら、きっと映画館を出てすぐに「吉沢亮と横浜流星、綺麗だったね」「なんか全部がただすごい映画だったね」など、薄い感想を述べ合うだけだったかもしれない。(もちろん、映画好きの友人相手だったら、夜が更けるまで熱く語り合っていたかもしれないが……)

しかし、一人で観た後は話す相手もいない。
だからこそ、感想を整理する時間が自然に生まれ、自分の感じたことを正直に書ける。
わからなかった部分や腑に落ちない感情も、否定せずに残せる。

この「残せる」という感覚が、一人映画の魅力なのかもしれない。

誰かに見せるための完璧な言葉ではなく、自分の心をそのまま記録していく感じ。
それは、他人に伝えるための言葉ではなく、自分のために綴った言葉であった。

将来見返して、「この時の自分、未熟だな」「今だったらこう考えるだろうな」と思うような未完成なメモだが、それは今の私をそのまま等身大で表した、素直な感想であった。

と、ここまで、一人で映画を見ると素直にレビューできると自信満々に語っていたものの、これは私にだけ当てはまることかもしれない。

そこで、映画の利用状況や“一人映画”に対するイメージを知るために、簡単なアンケート調査を行ってみた。
今回、回答を得られたのは8人だったが、一人ひとりが自分の映画体験を詳しく答えてくれた。

まず驚いたのは、一人映画に対するイメージが明るかったということだ。

すべての回答者が、このようなポジティブな印象を一人映画に対して持っていた。
私は多くの人が「寂しそう」「ハードルが高い」と答えるのではないかと予想していたが、その選択肢を選んだ人はいなかった。

では、実際に一人映画を経験した際、どのように感じたのだろうか。

一人で観たから、「人前だと泣けない性格なので気持ちよく泣けた。」
誰も話し相手がいなかったから、「観た後はじっくりと作品を見て感じた自分の感情や考えに浸」った。
誰かと観るときは「『隣の人はどう思っているんだろう。』と気になってしまう。」

アンケートではこのような意見が見られた。

私はこれらを読んだ時、少し安心した。
私が『国宝』を観た後に感じた、あの“作品が自分の中に沈んでいく時間”は、どうやら私だけに起こる特別なものではなかったらしい。

特に印象的だった回答がある。

「一人映画をした後、インスタのストーリーに長文の感想を書いた記憶がある。それは、人に伝えたいというよりは、なんとも言えない気持ちを何とか言語化したい(人が見る場に書くことできちんと言語化できるので)という意図だった。」

映画を観た後、誰かに共有したいというよりも、自分の中で整理したい。
そのために、感想を書く。

一人映画はただ一人で孤独になる時間ではなく、むしろ自分の感情を丁寧に扱う時間なのかもしれない。

一方で、こんな声もあった。
「一人映画に興味はある。でも、なくても困らない。」

この言葉を見た時、とても正直だと思った。
やってみたい気持ちはある。でも、強い動機がない。

確かに、一人映画は映画を語る上で必須の条件ではない。
誰かと見る楽しさも、もちろんある。

観終わった後、すぐに感想を言い合えること。
自分では選ばなかった作品に出会えること。
隣で笑う姿に釣られて、思わず笑ってしまうこと。

それもまた、映画館で映画を楽しむ方法の一つだ。

それでも私は、“一人で見ることでしか残せない感情がある”と思う。

誰かの反応に引っ張られないこと。
「どう思った?」と急かされないこと。
うまく言葉にできないままの“わからなさ”を、そのまま持ち帰れること。

あの『国宝』の感想メモは、誰かに向けて作った、完成されたレビューではない。
むしろ、今見返しても未熟さや迷いがそのままわかる。

けれど、その未完成さこそが、今の私なのだと思う。
数ヶ月後・数年後にそれを読み返すとき、当時の自分と比較しながらもう一度映画について考えることができる。
当時分からなかったことも、時間が経つことで少し違った角度から見られる気がする。

一人映画の魅力は、自由さでも、気軽さでもなく、
“自分の成長過程をそのまま残せること”なのかもしれない。

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