SFで“異常”を大解剖!隠された“ある事実”

私の中に隠れた“あるもの”

拭いきれない違和感と否定。
でもどことなく理解できなくもないあの感覚。

ある時、19人の障がい者を殺害した事件のドキュメンタリーが目に飛び込んできました。
その犯人の言葉に、私はすごく違和感を覚えたのです。

いわゆる“普通”の人には理解し難い犯人の考え、でもなんか言っていることが矛盾しているようなしていないような。そして、不名誉だけれども、その犯人の言っていることが理解できると思えたのです。
とても奇妙だけれど、私の中に”変なやつが潜んでいる”そして”何かによってそれが守られている”と感じました。

そう思うと、恐ろしさで鳥肌が立ちました。

そしてすごく“疑問”でした。
なぜ、そう考えてしまうんだろう?理解できてしまったんだろう?と。

考えているうちに、気持ち悪くなってきました。
でも、徐々にその”何か”がだんだん形を帯びて見えてきました。

それは、「正常でいようとする自分」でした。

そして、その”変なやつ”が「私の中での異常な部分」であるということも。

誰かの目には明らかに異常に見える考えや価値観。
私だけの話だと思っているあなたの中にもその可能性が0と言い切ることは難しいでしょう。

社会のルール、倫理や道理がそれを押さえ込んでいるだけ、そんなとんでもなく恐ろしい考えが脳裏をよぎり、
さらにはそれが割と事実に近いのではと思い始めました。

「そこまで思うなら、いっそのこと解明してやろうじゃ無いか。」と思い立ち、
今回の記事では、今を生きる私たちには理解の難しい”異常なSF世界”を描いた3作品で紐解きたいと思います。

自分の知らない世界を旅する時、私たちはどこかで“これまでの自分”の生きた環境と比べがちですが、
私の記事を読みながら、新鮮さや驚きをより一層感じてもらうには「自分自身が固定概念の装備を外す必要」があります。

ちょっぴりダークだけど、触れてみると面白い。
これをきっかけに、新しいあなたに出会う冒険をしましょう。

それでは、行ってらっしゃい!

消滅世界

人工授精で簡単に子供が生めるようになった世界。
この世界で、性行為は “近親相姦”“と呼ばれます。

村田沙耶香さんの『消滅世界』が、一番最初の“異常な世界”

誰かを好きになること。
愛を感じるということ。
自分から愛するということ。

「愛」という言葉を聞くと何を思い浮かべるのでしょうか。
「愛」は一体どんな形をしているのでしょうか

「性行為」という非常にセンシティブなテーマで愛を語る。
でも、その愛の形は少し歪。

家族と恋人は別。夫婦でも恋人を作ることができ、愛することができる。
家族は唯一心を休ませることのできる居場所として存在し、人工授精で子供を産み、性行為=近親相姦はタブーとされる世界。

この世界の主人公「雨音」は、近親相姦で生まれてきました。

小学生の頃、人工授精で赤ちゃんが産まれてくる現代社会のDVDをみた雨音。
自分が近親相姦で産まれたことへの嫌悪感、母を憎み、母を“異常扱い”します。
なぜ、避妊措置もせずにわざわざ“近親相姦”して自分を産んだのか。憎くてたまらないのです。

でも雨音には大きな矛盾と欠点がありました。
それは「自分が母親と似ている」ということ。

自分の愛の確かめ方が母親と違うことを必死に正当化しようと性行為を繰り返します。
でもそもそもその確認行為自体に違和感と矛盾が隠されています。

彼女の「性行為」に対する考えの執着は、母親が「あえて交尾によって近親相姦をした」それと似ていると思うのです。

言い換えれば、雨音は自分の「異常性」を隠して「正常」になろうとしているけれど、「社会」「ルール」という枠がなければ、異常も正常もない。そう捉えることもできる。

「正常という名の仮面を被り、異常性を隠そうとする」
これが、この作品で私が感じた“人間らしさ”です。
それを隠しきれない人が、はみ出しものとされ、秩序のない野蛮人として社会から嫌われる。
それが今私たちのいる社会。

でも言い換えれば、私たちは「異常」であるかも知れない前提を完全に消し去ることはできない。

「正常でいようとすること」
これは産まれた時からの使命であり、約束事なのかもしれません。
あるいは神様の思惑かもしれない。

あなたの中に潜む異常性。
もしかしたら、社会のルールや倫理観に縛られて隠れているだけかも知れませんね。

でも、私たちが他の人間と“共存”するためには、やはり“道理”というテーマは見つめていかないといけない気がするものです。
次の作品でちょっと考えてみましょう。

インビジブル

作品の主人公である天才科学者セバスチャン・ケイン。
彼は「人間を透明人間化する」研究に励んでいました。

そんなある日、彼はついに自らを実験台として「透明人間化」に成功します。

喜んでいるのも束の間―

彼は、自分自身が「元に戻れない」ことに気づき始めます。
最初はとんでもない不安と焦りに悩んだセバスチャン。
徐々にとんでもない思いつきをし始めます。

それは、「好きな人の部屋に侵入すること」
まるでドラえもんののび太のようですが、
2次元だから許されるお茶目な話ではありません。

彼は、彼女が裸になっていく姿をじーっと見つめたり、
お風呂の中を覗き見しようとしたり、
彼女のことを一日中追いかけ回したり、
どんどん危険な行為に手を染めていくのです。

彼の異常なまでの執着心と嫉妬心
決して他人事のようには思えませんでした。

寧ろ、私たちが隠した異常性をリアルに体現している。
私たちの中にも、セバスチャンのような欲望があると、そう直感で感じたのです。

でも、同じ人間のセバスチャンと私たちの間には明らかな違いがありました。
それは「踏みとどまることができる」ということ。

例えば
「世界征服をしたい」
「嫌いな人がこの世から消えて欲しい」
「好きな人が自分だけのものになって欲しい」
「お金持ちになって好き勝手遊びたい」
という欲望があったとします。

でも、
「世界征服をしようと大量虐殺をしなかったり」
「嫌いな人を消したいと思って殺さなかったり」
「好きな人に誰かを好きになることの自由を与えたり」
「違法にお金を稼がず、仕事をこなして貯めようと頑張ったり」
して踏みとどまることができるのです。

これは、”倫理””道理”という国によって微々たる誤差はあれど、存在するルールや認識のおかげかもしれません。

でもそれ以上に、「大切な何かがある」「守るべき何かがある」
”その一線を絶対に超えてはいけない”と感じているからだと私は思うのです。

そしてそれは、周りで応援してくれている家族、あるいは自分自身、支えてくれる恋人、
一緒に泣いてくれる友人、いつも応援してくれる学校の先生の存在かもしれない。

透明人間になりたいという天才科学者が見せた”夢”や”希望”と残虐な”異常性”
セバスチャンが見せた残酷な“人間らしさ”
でもそのおかげで見つけた、私たちの純粋で透明な人間らしさ。

その人間らしさが、育ってきた環境や生きている世界線が違うがゆえに
形を変えて壊れてしまったり、失われてしまったりするかもしれない。

けれど私は、そんな素敵で奇妙な”人間らしさ”が私たちの中にある可能性を感じるようになりました。

刺激に満ち溢れた『インビジブル』の世界。
一度自分と照らしてみたら、自分では気づけなかった隠れた”異常性”が見えてくるかもしれません。

華氏451度

さて、いよいよ終盤まできました。
ここまで本当にお疲れ様でした。

最後は少し肩を楽にして、読んでみてください。
始める前に1つ皆さんにお聞きしたいことがあります。

「皆さんには、“自分らしい生き方”というものがありますか?」

SNSが普及する今の時代、「生き方」がいろんな形で定義されていると思います。
例えば、「9-5 work day」「ミニマリスト」「DIY生活」「白で統一した部屋」「貯金と予算管理が日課の主婦生活」

1つの生き方を参考にして、簡単に自分の生き方を選べる時代に、その選択肢を改めて考えるのは少し面倒な気もします。
すでにあるのに、「あえてそれをする」。一番最初の『消滅世界』でも似たような話が出てきました。

『消滅世界』では、人工授精で叶うのにわざわざ性行為をするという選択の自由がありました。
しかし、最後にお届けする『華氏451度』の世界は、「本を読むこと、持つことが禁止される世界」。

つまり、選択の自由がないのです。

1つのルールに縛られているあるいは多数を占めている事実は同じでも、そこに選択権があるかないかでは話が大きく変わります。

本が禁止された世界、そこに注目しても面白いと思います。
ですが、私は今回皆さんと「SFを通して見つけた人間らしさ」について注目したいと思います。

このSF作品と出会ったのは、高校1年生の頃。コロナで全ての授業がオンデマンドになった時期です。
毛布に包まりながら、先生の話を悶々と聞いていた時に出会ったのです。

その作品の名前は『華氏451度』
最初この言葉を耳にした時、温度であることは予想ができましたが、何の温度なのかはわかりませんでした。
それが「紙の燃える温度」と聞いた時はなんか理解したようなしていないような感じでした(笑)

実際に小説を読んでみるのですが、複雑な話が好きな私でも頭を痛めるほど、難解を極めました。
レイ・ブラッドベリの言葉遊びは、普通の小説家とは一線を画していたのは明らかです。

私がこのSF作品で、「どんな人間らしさ」を見つけたのか。それは、

「人は自分が生きるのに必要と感じたものを手放すことは難しい」ということです。
それは、本が禁止されるという”異常”な世界でも決して変わることのない人間らしさなのです。

言い方を変えると、誰かの素敵な生き方をいくら真似ても手放せない自分だけのルールや価値観が必ずあるということです。

一度“これはいい”と確信した時の感覚、時が経てば経つほどその“感覚”が事実ではなくとも、覆せなくなっていくと私は思います。

『華氏451度』で描かれる「本」も同じように感じるのです。
なぜ、本が禁止されているのか。あなたならそんな世界を“どう捉えますか?”

もしあなたの使っているスマートフォンが禁止されるとしたら、なぜ禁止されるのか。
そしてもし取り返したいと感じるなら、なぜ取り返したいと感じるのか。
それはもしかしたら“あなたの生き方”を考えるヒントになるかもしれません。

「生き方に正しさを求める人」「自分にとって大切なものを見つけたい人」「揺れ動く自分をどうにか認めてあげたい人」
この作品があなたにどう作用するのか計り知れませんが、きっとあなたに“生き方”のヒントを与えてくれます。

小説を読むことが面倒かも知れませんが、最初の一文だけでも読んでみてください。
あなただけの華氏451度を感じながら、作品に一度触れてみると、今見えている日常の景色が一味変わってくるかもしれません。

「異常」は「正常」であることの「証拠」

「人工授精で性行為が不必要となる世界」
「透明人間になって元に戻れなくなる世界」
「本を読むこと、持つことが禁止された世界」

今回、これらのSF世界へ皆さんと旅に出ました。
筆者も書きながら、いい意味でお腹も頭も満腹になりました。

「どうにか正常であろうとすること、周りに馴染もうとする」
「それでもどこかに異常性を隠し持っている」
「だけどそれを表に出さないのには、その恐ろしさを知ってるあるいはそれ以上に守りたいものがあるという自己防衛的な部分がある」
「環境を変えても変えることのできない自分だけの価値観を持っている」

これらは私が、今回紹介した3つのSF作品に触れながら見えた“人間らしさ”でした。
皆さんが見たら、また違う視点、人間らしさが描かれているかもしれないだろうな~と気が気でありません(笑)ぜひ感想をお聞きかせください。

最後に。

冒頭の会話を、3作品を読んだ後に読み返してみてください。
「彼女たちの発する常識とは。」
「倫理観とは。」
「彼女たちにも、私たちに見えない隠された“異常性”があるのかもしれない」

それは、愚痴以上に面白いものを見せてくれる。

異常であること。
それは正常であることの証拠かもしれません。

あなたさえも知らない、あなたが持っている異常性。
その正体をSF作品を通して見つめてみるのもいいかもしれませんね。

次回は一体どんな世界を皆さんと旅するのでしょう。
お楽しみに…!

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