「最近小説って読んでないな~」
といろんな人に言われる。もとは読書好きだった親友、サークルの友人、バイト先の人、etc.
私が日本文学科に所属しているということもあり、
学部どこなの?→日本文学科です→日本文学科って何やってるの?→私は近現代の作家を取り扱ってるんです→うわー、小説ってこと?最近読んでないな~
というテンプレート的流れで、この言葉を聞くことが多くなった。
そんな彼らにどうして最近読んでないのかを聞くと、時間がなくて……とか、読まなくなったら読むタイミング見失っちゃって……とか、色々な回答が返ってくる。
その中でもとりわけ「近現代の作家」というワードを出すといわれるのが、
「文豪って難しそう」
という言葉だ。
私は文豪が書いたから難しいと思われてしまうことが、とてももったいないと感じる。
誰しも国語や現代文で、今は文豪と呼ばれる人たちの作品を読んだことがあるはずだ。
太宰治の『走れメロス』などは、時間をかけて授業で扱う学校が多いだろうし、インターネットで時々話題になるから特に覚えている人も多いのではないだろうか。
それらを「読まされた」時に、少なからず「なんだこの話」と思った人もたくさんいると思っている。
『走れメロス』は、あまりにセリヌンティウスがかわいそうではないだろうか。急に友達が自分のことをいけにえにささげるなんて怖すぎる。それに処刑しようと思っている相手に三日間の猶予をくれる王様って本当に邪知暴虐なのか?というかメロスって親友のために走ってるっぽいけど動機が妹の結婚式に出たい!!!ってめっちゃ個人的な理由だよな……
などなど、思わずツッコミたくなってしまう内容も多い(と個人的には思う)。
「読まされた」時に、これは文豪が書いた高尚な文学だな、と思いながら読んだだろうか。ほかに教科書に収録されている物語たちと大きく違いを感じただろうか。文豪が書いたかどうかは、読むという行為には関係のないことだ。ただ読んで、読むことを楽しめればいいと思う。
だが学校で読む以上、読解しろという課題が付随してくる。
メロスがこの時何を思っていたかとか、セリヌンティウスがどんな気持ちで待っていたのかとか、正直知らないよ~となってしまうのも無理ない。真実は太宰治にしかわからない。なのに、何かを受け取って読み取らなければいけないような環境が用意されているとなかなかそういうわけにもいかない。何かを受け取れる作品なんだ、と思うと何かすごいものな気がしてしまうだろう、
しかし、学校という場所から離れてしまえば、別に読解する必要はない。太宰がメロスを通して描きたかったことは確かにあるが、それを無理に受け取ろうとしなくてもいいと私は思う。
面白い・面白くないだけでもいい。意味がわからない、それも感想だ。何か気になることが見つかったらそれはそれでまた自分の世界が広がる。
だから難しい話だと思ったり、なにかすごく大事なメッセージがあって、それを読み取れないから無理だと思ったりして、読むことや文豪と言われる人の作品に対して線を引かないでほしいと私は思う。
そもそもなぜ本を読む必要があるのか、本を読んで何を得られるのか、今そう思っている人もいるだろう。
だが私はこう伝えたい。今ここまでこの記事を読めているあなたには本を読む才能があります!!と。
こんな素人の書いた、世の中に言いたいことを発信する力の育ち切っていない文章をブラウザバックせずここまで読めているなら、本屋さんで、価値がついて世に放たれている作品は300倍面白く感じられるはずだ。
そして人間である以上、私の文章ですら、「読んだ後に何か考えること」は避けられないと思う。「偉そうなやつだな」とか「へたくそな文章だな」とか。「面白かった」もあると嬉しいけれど。もっと巧みな言葉や表現でこの何かを読んで何かを思うという行為をさせ続けてくれるのが小説なのだ。この文章も文豪の小説も、同じくテキストである以上、その感想が「なんだこれ」だっていい。だけど読む⇒考えるというプロセスが必ずあなたの世界を広げてくれるはずだ。どうせ「読む」なら300倍面白い文章も読んでみたくないだろうか?
そしてなにより、本を読む才能を持っているあなたが、その才能を眠らせたままでいるのはもったいない!今本を読んでいる一個人として、それを目覚めさせてほしいと強く思う。
じゃあ才能があったとしてどうやって本を手に取ればいいんだろう、ともし思ってくれていたら、私のおすすめのやり方をとりあえず載せておきたい。
まず、本屋さんに行こう。私も高校生の間、忙しくて本を読んでいないと、本屋さんに行くのは本を読んでない人が行く資格のない場所のような気がして謎の緊張をしたことを覚えている。だけど大丈夫。本屋さんはアパレルみたいに「この本お勧めですよ!」と話しかけてくることもないし、最近本を読んでいないからと言ってとって食われるわけでもない。安心してほしい。
次に、本を眺めながら意味もなく歩いてみよう。いろんな棚を眺めてただ歩くだけでも、小説・絵本・漫画・雑誌などがわんさかあって、気になる表紙を見つけたり、どんな人がどんな本を見ているのか、ちらっと見る。こうしているうちになんとなく自分も本屋になじんでくる。これで謎の緊張をいったん解く。
そして小説の棚に行き、知っている名前の人をとりあえず探してみよう。大体の本屋さんが出版社ごとに作者を五十音順にしてくれている。なのでまずは名前を知っている人を探そう。スーパーでお母さんと離れてお菓子コーナーを見た後お母さんを探すような、新学期に新しいクラスで友達がいたときのような、そんな作業だ。そしてこの人知ってるぞ!という人の本を手に取ったら、いきなり内容を立ち読みするのではなく、絶対にあらすじを読もう。中身の文体などが難しくても、あらすじが頭に入っていたら主人公が誰かぐらいは分かるし、あらすじであまりひかれなかったらチェンジもできる。
この「とりあえず入る→うろちょろする→知ってる人のあらすじ乱獲」をしていくうちに、なんか面白そうを発見できるはずだ。
そして実際に読む中で、文体や言葉が難しかったら流し読みだっていい。感覚で選びたかったらタイトルや表紙を見て面白そうと思ったものを手に取るだけでいい。お金を払いたくなかったら図書館や、青空文庫という著作権切れの作品が収録されているサイトを利用するでもいい。あくまでも上記は私の一例である。とにかく、「読まされる」のでなく「読む」ことのできているあなたが、難しそうというだけで読むのをやめるにはもったいない。そのハードルを取り払えば、「面白い」でも「なんだこれ」でも、とにかく知らない世界が広がっているはずである。
読んでみることにハードルを置く必要はない。なぜならもうすでにあなたはそのハードルを越えている。読まれるものはいつでも私を、あなたを待っているのだ。
