散歩で最高の死に場所探し

私はポジティブ死に場所界隈

私は昔から散歩が大好きだ。ふらふら目的もなく1日中歩くのが好きだ。でもずっと目標もなく散歩をするのも面白みがない。そう思った私は大きな目標を設定した。それは「散歩を通して自分の死に場所を探す」というものだ。

「死に場所」という単語だけを見ると人生にとても消極的な印象を持っている人間のように見えるが、それは大きな間違いである。より良い死に場所を探すのは人生に対しての最大の執着というか、「私の感性がここで死にたがっているんだ!」といった自分の感性に対してのプライドが感じられるものだと思う。少なくとも私はとてもポジティブな感情で死に場所を探している。こうして私はポジティブ死に場所界隈の一員となった。

死に場所=住みたい場所だろうか

そもそもなぜ死に場所を?と思う人が多いと思う。死に場所じゃなくて住みたい場所探しでもよいのではないか、と。実際に私も目標を探す上で住みたい場所探しをすることも検討したのでその気持ちは非常に理解できる。

では、なぜ私が死に場所にこだわるのかというと私は死に場所には自分の感性が最大に現れるのではないかと思ったからだ。住みたい場所は職場からの距離などライフスタイルを考慮しなければいけない一方で、死に場所は自分の感性を最優先してよいのではないかなと思ったのだ。勿論坂が少ないとかスーパーが近くにあるとか年老いたからこそ考えなければならないことは沢山あるだろうが、死に場所を考える上では住みたい場所に比べてその内訳では感性が重要視されていると思う。

なんか嫌、なんか良いを突き詰めたい

土地の調べ方は沢山ある。地図アプリやSNSで調べるのに比べて散歩は疲れる。散歩好きの私でも40km歩いた日とかはかなり疲れる。疲れる上に時間も食う。
それでも私が散歩にこだわるのは散歩で自分と土地の相性がすぐに分かるから。肌感を大切にしたいと思うから。

みんなはいいと言う街でもなんか気に入らない、みたいな直感こそ大切にすべきなんじゃないかと思うし、この「なんか」の部分を突き止めることこそ重要なのだと思う。そのために自分自身を移動させることによって受容できる直感を生かすことこそ感性を生かした死に場所探しにつながるのではないかと思うのだ。

たまに海外旅行帰りに「空港降りた瞬間この国は相性いいなと思ったんだよね~」みたいな発言をする人がいるが、それも感性の一種だと思う。人生をかけて「なんか嫌」「なんか心地いい」を沢山体験しデータをたくさん集めてその理由を突き詰めて自分が真にどんなものが好みなのかを知るのはすごく楽しいと思う。私はその集大成として死に場所を決めたい。

Next人形町を求めて「なんか違う」 勘違いに気づけた日

私は高校生の時から街自体の雰囲気はとても文化的なのに少し歩けば日本橋があり都会になってしまう「昔と今の狭間」のような雰囲気の人形町が好きだ。じゃあ江戸時代から栄えているほかの街も大好きな人形町と雰囲気が近いのではないか、とたどり着いたのが清澄白河と門前仲町だった。清澄白河や門前仲町は深川地域と呼ばれていた地域で江戸時代から人で賑わう下町として知られている。現在も都営地下鉄と東京メトロが交差していて交通の便が地味に良い点や都会と自然のバランスからとれている点からこの街を好きな人は多いらしい。スマホで調べたそんな情報を基に私は死に場所候補、清澄白河と門前仲町を歩いてみたのが…。

実際に歩いてみるとなんか思っていたのと違った。確かに清澄白河・門前仲町には富岡八幡宮もあり東京都現代美術館もあり、近くには八丁堀があるため都会の雰囲気も感じられる。古風な雰囲気と現代的な雰囲気の要素は足りているはずなのに、そこに人形町のような魅力が感じられなかったのだ。深川地域は江戸時代からある街だから確かに歴史のある街なんだろうけど、どこか人形町とは違う。この差って何なんだろう。なんとなく感じたこの違和感から私は歴史がある街でもノスタルジックに感じられると感じられない街の差について考えてみた。

2つの街の違いを考えてみた結果、まず歩いているときに目に入る建物の高さに違いがあるのではないかと考えた。清澄白河・門前仲町は葛西方面に見えるマンション群が秀でて高くてかつ大きな道沿いにあるビルは10階程度の高さがあるのに対し、人形町は比較的建物が低く一軒家が多い傾向がある。また風の吹き方もかなり違う。門前仲町は東京湾からの強い風を感じられるのに対して、人形町は風が特段強いという印象がない。そして街に見える明かりの色は人形町の方がより暖色に感じられ、明かりの量自体も人形町の方が多い…。そして人形町は柳が多いのに対して清澄白河・門前仲町付近は銀杏が多い気がする。

考察してみた結果気づけたのは、私は「古風と現代的な雰囲気が混ざった街」が好きなんじゃなくて「都会に近くて温かみのあるノスタルジックで下町っぽい雰囲気のある街が好き」ということ。確かに考えてみれば、人形町の他に好きな町である千駄木は狭い路地と坂が多い一軒家が多い街である。千駄木も近くに御茶ノ水や上野など都会がある地域だが、歩いていると小学生くらいの子供の遊び声が聞こえてなんだが優しい気持ちになれるのが推しポイントだ。都会と雰囲気が混ざっては私の好みから外れてしまうのだ。私に清澄白河・門前仲町は少し都会過ぎたみたいだった。

しかし、重要なのは深川地域と人形町が直線距離で1kmも離れていないこと。1kmも離れていないのにこんなに雰囲気が違うのかと驚いた。もし私がこの2つの街を散歩をせず「古風と現代的雰囲気が混ざった街が好きなのだ」と考えたままだったらこの勘違いには気づけなかった。散歩をして自分の視覚情報や聴覚から情報を得られたからこそこの勘違い気づけたのだと思う。

死に場所界隈は時間と闘う

「死に場所探し」という明確な目標がある散歩では常に自分の好奇心のアンテナを張って歩かなければならない。歩いている途中にあるお店、公園、その街を歩いている人―全てを観察して歩かなければならない。何回もその場所を歩いて色々な条件下でその街を見てこそその街の雰囲気、自分との相性がつかめると思う。そう、死に場所探しには時間が必要なのだ。

ですから、この時期から散歩で死に場所探しませんか。ゆっくり自分の感性100%で好きな場所見つけをしてそこに骨を埋めてみませんか。(終)

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