虎ノ門には放し飼いのフレンチブルドッグはいなかった

虎ノ門には放し飼いのフレンチブルドッグはいませんでした。虎ノ門は車通りも多いし、田舎でもあるまいし、放し飼いの犬なんているわけないだろうと思いましたか?しかし、虎ノ門と同じような条件の街で放し飼いのフレンチブルドッグはいたんです。↓

そう、その街とは台北。台湾の中心都市です。がっつり車も走っているし、台湾の大都市です。通勤中の人々で溢れている交差点にブルドッグは一匹で佇んでいました。通勤中の人々が忙しなく歩いている中、そのブルドッグは微動だにせず、ただそこにいました。

台湾でのんびり失敗

私はこの夏休みに台湾に行きました。
部活の貴重なオフに「のんびりするぞ!」と意気込んでいたのです。しかしいざ台湾の街で過ごしてみると、のんびり出来ていない自分がいることに気がつきました。結局、部活のタスクを移動時間にこなしたり、帰国後の予定を考えたりしてしまっていたのです。原因はただ一つ。「台湾の街がゆったりしすぎていた」からです。おじさんが昼間から外でカラオケをしていたり、スタバではおばちゃん達が通帳を見せあっていたり、お店の店員は堂々と韓ドラを観ていたり、と良い意味で人の目を気にせず、生活しているように見える台湾の空気感は緊張感が日本と比べて半分以下でした。そんな台湾のゆったり感と反比例するように私の「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」という焦燥感のようなものは膨れ上がっていきました。しかし、裏を返せば、忙しい街に行けば、私はのんびりできるのではないかと思ったのです。そこで、今回はバリバリ働いていて忙しい人が多そうな虎ノ門を散歩することにしました。

虎ノ門さんぽ

虎ノ門を散歩してみて、まず感じたのは、自分の異物感です。社員証をぶら下げて、行き交う社会人の中で、私服姿で大学生の私は珍しい存在でした。私にとって、その異物感は心地良いものでした。忙わしなく歩いている社会人集団の一員ではないという自覚が、自分がいかに自由な身分であるのかを感じさせたからです。また、ビルが多く、道が整備されている街の景観は灰色で、ご飯屋さんやカフェチェーン店のカラフルな配色が虚しく浮いているように見えました。街の誰もが目的を持って歩いている虎ノ門で目的なく散歩している私は正真正銘のんびりしていました。確かに、自分より遥かに忙しいであろう社会人の姿を目の当たりにして、自分に与えられた時間の多さに気付かされ、のんびり出来ました。けれども、虎ノ門を散歩して、自由な学生身分であることの優越感に浸り、のんびりするというのは、なんだか罪悪感があります。もし、自分が社会人になり、忙しく働いている時に、気楽そうな大学生が来て、「大人は大変だなあ、自分はまだ学生で楽なもんだなあ」というふうに見られたら、手を出しかねません。

台湾のゆったり感の正体

私が台湾でのんびり出来なかった原因は台湾がゆったりしすぎていたからと前に述べました。では、ゆったりの正体は何なのでしょうか。私は、ゆったりの正体は街の人々が人を信頼しているからこそ、生まれる緊張感のなさではないかと考えました。街の人々に後ろ指さされないだろうという信頼があって、おじさんは外で堂々とカラオケをするし、スタバのおばちゃん達は通帳を見せても盗まないだろうという信頼があって通帳を見せ合い、お店の店員は仕事中に韓ドラを観ても、客から咎められたり、客が金を払わなかったりすることはないだろうという信頼がある。そして、まさに台湾の信頼感によるゆるさを象徴するのが冒頭に述べた放し飼いのフレンチブルドッグです。普段、街を歩いていて人々の信頼を感じないからこそ、台湾のフレンチブルドッグが衝撃でした。私は普段からある程度緊張感のある街で、私自身も緊張感をまとって生きています。だからこそ、台湾の緊張感のないゆったりした空気に対応できず、むしろ逆に焦りが膨らんでしまったのです。「台湾でのんびり出来なかった」のではなく、「台湾でのんびりする才能がなかった」のです。

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