ここは下北沢駅。不思議な魅力のある街だ。小田急線と京王井の頭線の交差するここは、アンダーグラウンドなサブカルの伊吹と、どんどん進化していくスタイリッシュさが交差する。形容しがたい空気のなかに聞こえてくる会話に耳を澄ませるために、イヤホンを外した。
「全部同じにみえるよお」
ドーナツ・ショップの袋の中を見つめて、小さい男の子が泣いている。僕はその中身を見ていないからよくは分からないけれど、ドーナツを買いにいって、全部同じドーナツを買うなんてことありえないから、多分全部違うドーナツで、ひとつはきっとプレーンな味付けで、ひとつはきっとチョコがかかっていて、ひとつはきっとケーキみたいな食感の、悪く言うならぱさぱさしたものなはずだ。それぞれがこんなに個性を主張しているのに、どれも、ただまんなかにぽっかりと穴が空いているだけで同じに見えている。僕は今日、とてもお気に入りのジーンズを履いている。生地が薄くて、膝のあたりにダメージが入っている。少し穴が目立ち始めるとリペアに持っていくくらい大切にしているジーンズだ。下北沢を歩く若者は、みんなこういうダメージ・ジーンズを履いている。僕が履いているのは、色落ちの度合いも、そのシルエットも、全部他のジーンズよりかっこいい。でも膝のあたりにぽっかりと穴が空いているだけで、全部同じに見えてしまうんだろうか。量販店系の古着屋にいくと、安い値段で(中古って感じの値段で)ジーンズが大量に売られている。それを見ながら僕も泣きたくなる。全部同じに見えてたまるか。
「このアウターめっちゃアツいね」
服装のかっこいい若者集団が、ワークジャケットを手にとってそう話している。ワークジャケットはそこまで温かくはない。でもそのくたびれた風合いとか、まさに「アツい」。僕もそれが欲しい。でもこうしてみると、たしかに、昨今の古着ブームも、それに連なるアメカジブームも、きっと全部同じに見える。右から二番目の若者が着ているジャケットと、いま彼らが手に取っているワークジャケットは、同じに見える。でも違うのだ。
ここにいる若者のどれだけが、自分のバックグラウンドみたいなものを強く持ってファッションをやっているんだろうね、なんて思う。僕は下北沢の量販店で古着なんて買ってたまるか、と思う。服好きなりの小さな抵抗である。理由はよくわからない。いままで二本読んでくれたひとならわかると思うけれど、僕はこういう、どんな町にも冷ややかな目線をもつことで自我を保っているのと同じくらいに、自意識にがんじがらめになって、もう見動きのとれない自分がいる。僕は今日ここに、あるトークイベントを見に来た。僕はブームとかでやっていないのだ。ただ好きなカルチャーがあって、そのイベントがたまたま下北沢であるから、今日たまたま下北沢に来ている。ちょっとでも自分がサブカルチャーの中にいるな、と思う人間は、下北沢を訪れるときに胸に抱える小さな言い訳があるはずだ。その言い訳を、人は個性と呼ぶ。僕はそう呼ばせる。
トークイベントは、僕がよく聞いているPodcastのリアルイベントで、ケアとか記憶にまつわるものだった。狭い空間に50人くらいが箱詰めにされる。トークのなかで、教室の景色の話が出た。僕は、あの頃すごく換気したがっていた先生のことを思いだす。いま、僕はすごく換気したい。
合間の休憩時間に外の空気を吸いにいく。
「まだ前半なのに泣いちゃいました」
「わかります、あそこの話すごくよかったですよね」
スピーカーが涙ながらに話していたところについて話をしている。たしかにとても素敵な話だったし、そこにケアが満ちあふれていて、僕がこのPodcastが好きな理由が詰まっていたけれど、でも僕はこもった空気に眠気と頭痛でそれどころではなかった。話しているふたりは、そこは気にならなかったのだろうか。そもそも、その場の空気に対してまったくケアがなされていないじゃないか!
イベントが終わって、そこで買ったZINEを読みながら、ファミリーレストランでハンバーグを食べる。一人席で、周りの会話は上手く聞き取れない。しかたないので、イヤホンでさっきまでのPodcastを聞く。多分このカウンター席に座る人のイヤホンからは、全部違うものが流れている。みんながみんな、心にいろんな言い訳を抱えて下北沢に来ている。その言い訳を外に出すのはダサい。だから外から見ると、その言い訳の部分だけぽっかりと穴が空いている。昼間に見たあの子のことを思いだす。どんな個性も、集まればみんな同じに見える。本当はみんな同じだ。同じじゃない、という意味で、同じなのだ。