ここは高田馬場駅。大学生しかいない街。それは言い過ぎだけれど、昼間は就活とか、バイトとか、(あ、忘れてた)授業とか、それなりにシャキッとしている彼らが、羽を伸ばして、ときに伸ばしすぎてしまう街。羽を伸ばしすぎて、もう飛べなくなることはないだろう彼らから聞こえてくる会話に耳を澄ませるために、イヤホンを外した。
「知ってるドイツ語なに?」
「シャウエッセン」
「それは太ってるわ」
ここまでたくさんの盗み聞きをしてきたけれど、正直これが一番面白い。まず質問がなんなんだ。知ってるドイツ語ってなんだ。前提として、なんて答えればよいのかわからない問いに対して、剛速球で正解の回答をして、そこにさらに斜め上からのツッコミである。すべてが綺麗に行われている。なんだこの問答。面白すぎる。こういうのがあるから、盗み聞きはやめられない。質問者はドイツ語選択なのだろうか。第二外国語。(大半の)大学生にとって、とてもカジュアルな選択でありながら、重くきつい荷物になる分野である。ほとんどの学生にとっては英語すらままならないのに。
「可愛いだけじゃ、だめです!!」
面白くないからだめなのだ。この歌がバズってから、いったい何人のつまらない人がこの替え歌をしたと思っているんだ。さっきのやりとりを聞いてしまっている僕は、今他人の雑談に厳しい。思い返せば、大学生とはずっとつまらない(という扱いをされている)ものなのだ。「大学生ノリ」がいい意味で使われている空間を僕は知らない。
「3秒であったまったらこたつ燃えちゃうよ」
たしかにそうかもしれない。もう、自分が他人のやりとりに厳しいのか甘いのか分からなくなってきた。この発言って、まったくの他人からしたら面白いのか?
なにごとにも慣らしが必要である。3秒であったまるこたつはきっと、10秒したらやけどする。燃えるかどうかはわからないけれど、猫は丸くならずに飛び出すはずだ。大寒波の夜、僕もインナーダウンを着込んでいる。僕の住む部屋にこたつは置けない。でもこたつのことを思うと、少しだけポカポカした気持ちになる。手でみかんをもみこんで甘くする。どれだけ意味のあることかは知らないが、きっとなにごとにも慣らしが必要だから、みかんにも「これから人に食べられるんだよ」という覚悟が必要なのかもしれない。風鈴は、その音色が人を涼しくさせる効果があるというけれど、こたつのある風景とは、風鈴とは真逆の効果があるものなのかもしれない。盗み聞きも慣らしが必要だった。最初に剛速球の会話を聞いてしまっている。
夜も深くなる。高田馬場のるつぼ、駅前ロータリーは、なんとも言えないお酒のにおいと、たくさんのたばこの煙と、うるさい声が混じっている。酔っていない人間が立ち寄るべきではない場所かもしれない。お酒の缶を袋パンパンに詰め込んだ大学生集団のとなりに座る。
「就活で大事なのはまじで元気だから!」
といってお酒を飲み干すスーツの男がいた。元気でけっこうなことね、と思う。僕も元気な方だけど、こんな寒い夜に外でレモンサワーを飲み干すタイプの元気ではない。僕はホットコーヒーを飲んでいる。僕の持っている元気さとは、終電間際にコーヒーを飲んでも帰れば簡単に寝られる、とか、風邪は引くけど半日で治るとか、そういう類のものである。この元気さは就職活動で役立つだろうか。可愛いだけでやりたい。夜なのに寒いからとホットコーヒーを飲んでしまうところとか、ちゃっかり風邪を引いちゃうところとか、そういうお茶目さを大人に可愛がってもらいたい。可愛いだけじゃだめですか?
こんなに街を盗み聞きしてきて、結局のところ浮かぶ疑問はありきたりなものだった。
街が人を作るのか、人が街を作るのか。プライベートで南青山に行く機会があったとき、大人のおしゃれをしようと背伸びしたけど、今日高田馬場にいる僕は、とてもリラックスした服装だ。街は人を作る。そんな人たちが集まって、街の景色を作る。そうやってできた街は、また新たな人を作るのだ。街は誰にでも開かれている。あなたも、そんな街の喧騒を、自分のプレイリストに入れてみてほしいなと思う。あなたがいま好きな街のことをもっと好きになれるかもしれない。嫌いな街を、もっとちゃんと嫌いになれるかもしれない。今回は、僕のよく行く街のなかから選んだ。僕もやがて社会人になる。そしておじいちゃんになっていく。そのとき、僕の暮らす街はいまとはきっと違う街になる。僕が変われば、街も変わる。そのとき聞こえてくる会話も、きっと変わる。そして僕自身がしゃべることも変わっていく。おじいちゃんになって、もうグレープフルーツジュース飲まれへんね、なんてしゃべっていたい。(近所のスナックで昔の自分の武勇伝を若者に話すおじさんになっちゃうかも!)僕の会話も、きっとだれかのPodcastだ。素敵な街の会話は、イヤホンを外せば聞こえてくるのだ。