らしさと出会い
私は「就活」が嫌いだ。
みなさんなら就活をどう捉えて、どんなイメージをもつだろう。「ガクチカ」。この言葉が直ぐに浮かぶ人も多いかもしれない。それに続いて、常にどこかで就活を意識してしまうことはないだろうか。このエピソード就活で使えるかも、このイベントに参加したら就活で強いんじゃないか。そんな風に考えて。
就活にはそういう視界を狭める一面がある気がして、私は受け入れられないのだ。世の中にいっぱい落ちている面白くて、広がる余地のあるイベントが、就活という一点に収束してしまう。みんなの持っている「らしさ」が均されてしまうように感じる。
そんな中でも、常に世の中を面白く捉えたい、ゲームを広げたい、そう考えるのが私の性分だ。
どんな場面でも「らしく」ありたい。「らしく」なりたい。
でもそんな風に気取ってみても、「自分らしさ」と出会うにはどうしたらいいのか。いまいち掴みきれず、もがいている自分がいる。
そこでぶっ飛んだ「らしさ」を持つ、言わば「非常識人間」との「出会い」を通して、自分らしくなるための方法、「らしくなるためのレシピ」を探ることにした。
レシピとは料理の作り方のことを指す場面で使うことが多い。しかし、私は人間も料理と同じである気がしてならない。経験を材料にして、長い人生の中で煮込まれ、そして時にスパイシーな出会いを経て、一皿の「人生」として完成される。だからこそ、私はあえてレシピという表現を使ってみたのだ。
非常識人間のレシピ
出会いは自分に今まで知らなかった世界を、考えを、エピソードを見せてくれる。だから私は出会いが好きだ。
この非常識人間との出会いも、きっと「らしさ」を見つけるヒントになってくれる。
そんな、「らしさ」を見つけるため最初にレシピを紐解かせてもらう非常識人間は、大阪でプランナーとして「ない株式会社」を営まれている岡シャニカマさんだ。代表的なプロダクトには「クソリプかるた」「いけずステッカー」「京都人狼」などがある。
シャニカマさんは名前にある通り、その斜に構えた視点を武器に、世間のえぐみを上手に笑いに昇華されている。まさしく、「らしさ」を持ちそれを武器に活躍されている方だ。彼から非常識人間のレシピを探っていく。
シャニカマさんに事の経緯を説明すると快く取材を受けて下さった。待ち合わせに指定されたのは砂場だった。
スタバではなくスナバだった。さっそくの非常識さ、ヘッドラインにぴったりの滑り出しだろう。
当日約束の場所である砂場にて落ち合い、成人男性二人してその砂場の縁に腰をかけた。どうすれば非常識人間になれるのか、さっそくそのレシピを伺っていった。
シャニカマ「らしさ」をつくる材料
まずはシャニカマさんを形作っているであろう、原体験、材料を伺った。
大阪生まれのシャニカマさん、近くにはいつもお笑いがあったという。
母の帰りが遅く、録りためてあった漫才のビデオを見ては、学校でその芸を披露し笑いを取る少年だったという。
また、教員として勤めていた母親の影響もあり、ゲームや音楽などへ触れられる機会は少なかった。流行に乗れない不遇な環境に無理やり納得するべく「俺は古い方が好きなんだ」とサザンやブルーハーツを聴き漁るようになった。結果、斜に構え、人と違うことをする、そんな姿勢が養われていったという。
「友達とのケンカが多かった」。こうも話してくださった。
母親が帰ってくるまでに、どう言い訳をするかを考える。それもだんだん上手くなっていったという。
この時に養われた人と違うことをする姿勢や、上手な言い訳を考える姿勢はシャニカマさんらしさを成していくことへ大きく通じているのかもしれない。
出会いの中で煮込まれる「らしさ」
私が大切にしている「出会い」という素材。
シャニカマさんにも自身へ影響を与えた出会いについて尋ねてみた。
一番に挙げて下さったのはタレントのみうらじゅんさんとの出会いだった。
テレビ番組でのコメントをきっかけに、彼の空気を読まず阿呆に振る舞う、ゆるキャラのごとくつねに人生をネタに昇華する姿勢に感銘を受けたという。それ以来みうらじゅんの生き方が常に目標としてあった。
また大学を卒業し、アカツキというゲーム制作会社にてプロジェクトマネージャーを務めていたシャニカマさん。仕事も性に合いうまくいっていたものの、イベントで生のみうらじゅんさんを観たことをきっかけに、「こんな真面目な仕事をしてちゃダメだ」と、発作的に退社を決意。
その時の先輩とのエピソードが忘れられないという。
先輩へ退社の報告をしにいくと、「ふざけるな」と言葉を貰った。伝える前から自己啓発本をあさり、次の職場も関連の出版会社に勤めることを決めていた。しかし、先輩にそんな自分の姿勢を「踊らされている」と一刀両断された。
いままで言わば、意識高く生きていた自分の姿勢に気がつき、転職から一転、ブロガーとYouTuberとして彼女の家での居候生活を始めたという。
みうらじゅんさんや職場の先輩との出会い。
そこから受け取った生き方のヒントが、ネタを笑いを第一に生きる、そこへ躊躇なく飛び込んでいくシャニカマさんの姿勢を形作っていったのかもしれない。
隠し味
「京都人狼」や「クソリプかるた」をはじめ、これまで独創的なプロダクトを世に送り出してきたシャニカマさん。
そんな企画を考え、実行できることの裏にある、言わば思考の隠し味について尋ねた。
怒られるのが嫌、言い訳を考えるのがうまかった。
「怒られることに対して、免疫がない。」そう話してくださった。
そんな背景から、プロダクトを作る上でも、クライアントに対しては丁寧にロジックを組み立てて提案を行っているという。そんな生真面目さがシャニカマさんの隠し味なのだと気付くことができた。
ふざけながらも、「誠実さ」を併せ持つこと、それが「らしさ」を世に認めてもらうカギなのかもしれない。
世の中をどう味わうか
多くのふざけたプロダクトを送り出し、斜に構えたスタンスを大事にするシャニカマさん。
彼は世の中をどう見ているのか、その視点にも「らしさ」のヒントが落ちているのではないかと思い、話を伺った。
純粋に好きなものを見ること。そう話してくださった。
そんなシャニカマさんの主戦場はX(旧Twitter)にあるという。
その中でも常に、どんなことをつぶやけば炎上するのか、言い換えれば盛り上がるのかに目を配るという。言いたいことをいう場であるXだからこそ、人の核心を付ける落とし物を見つけられるのかもしれない。同時にそんな世の中で見つけたものを仲間内でイジってゲラゲラ笑っているし、それがプロダクトにも繋がっているという。
怒られないように言い訳をしながら、世の中をいじる。
そんな姿勢がシャニカマさんの核には、「らしさ」にはあるのだろう。
「らしさ」の完成にせまる
ここまでシャニカマさんの生き様から「らしく」なるためのヒントを集めてきたが、最後に「らしく」生きるシャニカマさんに、「らしさ」について尋ねてみた。
僕たちは「らしさ」や「ぽさ」へ一つの正解を求めに行ってしまう。しかし、「らしさ」とはどこまで行っても全貌を捉えきれないものである。シャニカマさんからそう言葉を貰った。
人が持つ一面だけを見て「その人らしさ」だと僕たちは思ってしまう。その背景にも人の生き方、いわばキャリアは続いているのに。
シャニカマさんはこうも説明してくれた。
「らしさ」という言葉の語源はどこから来ているか。「らしさ」は、もともと「~らしい」という表現に由来しているのではないか。この「~らしい」は、例えば「どうやら○○らしい」というふうに、確かな情報がない相手の様子を「~のようだ」と推測して伝える時に使われる表現になる。
つまり、「らしさ」という言葉はすごく曖昧なものであると同時に、人から言われることが前提のものである。
さらに、もしも「らしさ」を自分で決めてしまえばそれはもはや、「なのさ」になってしまう。
そしてその瞬間に本来持っているはずの自分の全貌が、自称する「なのさ」の点に収束してしまう。自分の持つ豊かさが失われてしまう。
だからこそ、「らしさは自分で考えない方がいい」。
あなたらしさはあなたが思っている「らしさ」ではないかもしれない。自分という人間の豊かさを磨いていくこと、それが誰かの目に映るあなた「らしさ」に続いていくのかもしれないのだから。
十人十色の目に映る、それぞれの自分を認めて人生を「キャリア」を歩いていくことが「らしさ」のレシピなのかもしれない。
私は今回の取材を通して、新しい「出会い」の価値を見つけることが出来た。それは、自分の豊かさを教えてくれるものとしての出会いだ。他の人と出会う中で相手の目に自分はどう映るだろうか。
新しい人との出会いは、新しい自分との出会いだろう。出会いの数だけ自分の数がある、自分が求める豊かな自分像はもしかしたら、出会いの中で増やしていくことができるのかもしれない。
出会いを重ねれば重ねるほど、「らしく」なれるのかもしれない。
P.S. ちなみにこの原稿を読んだシャニカマさんから「村上春樹っぽい文体が“藤田くんらしさ”かもね」と、とてもシャニカマらしさに富んだコメントをいただいた。