ライブがもたらす、素敵な勘違い

オタクでもあり、ミーハーでもある、という自己矛盾

例えばこういう会話があるとする。

リポーター:休みの日って何して過ごしてるんですか?
ミズケン:そうですねー、最近はライブによく行きます!ライブに行くのが好きで。
リポーター:へぇー!どんなアーティストのライブに行くことが多いんですか?
ミズケン:ずっと真夜中でいいのに。って知ってますか?昔からよく行くんですけど…

ここで好きなアーティストが合致して、「この間のKアリーナ行きました!?」なんて方向にいけば大当たり。
大学入学以来、初対面の人との会話では何度もこのやりとりをしてきたし、ライブつながりで友達もできた。

だがしかし、ここにはちょっとした嘘が織り込まれている。

私がライブを好きなことに嘘偽りはない。
2023年4月から現在にいたるまで、合計26回ライブに足を運んだ。
生配信や落選したライブをあきらめきれずに単発バイトに参加したものを含めれば、その数は30を優に超える。

そして、ずっと真夜中でいいのに。が好きなことも本当だ。

ならば何が嘘なのか。
ライブの内訳をみていただくことで、私がごまかしていることを告白しよう。

フェスの割合が多いが、参加しているのはロックバントからアイドルまで幅広いジャンルのアーティストが参加するROCK IN JAPAN FESTIVALなど。いわゆる「Jフェス」が中心だ。参加するいろんなメジャーアーティストの代表的な歌をたくさん聞けることが楽しいと思って参加している。

そして何を隠そう、坂道のライブが私の参加ライブ全体の4割を占めている。
(中でも櫻坂46のライブに一番参戦している)。

つまるところ私は、Jフェスが好きで、そして坂道が大好きなのだ。

これだけ参加していれば、もはや「オタク」と言ってもいいような気がするが、「ミーハー」を名乗っている。
その理由は簡単に言うと「恥ずかしい」からだ。

まず、フェス界隈では、どこか「フジロック」や「洋楽フェス」に参加している人が、「真のフェス好き」として名乗れるような空気感があると思う。
Jフェスの経験しかないことに加え、広く浅くいろんなアーティストの曲を楽しんでいるに過ぎない、そんな風に自分の行いを過小評価してしまう。

そして坂道については、「アイドル好き」を名乗る人への偏見が、やっぱりどこかあるように感じてしまう。
それに、櫻坂46はほぼ毎月ライブを行っていることを鑑みると、私の参戦回数なんて大したことがないようにも思えてくる。

だから初めての自己紹介では、ちょっとした嘘をついてしまうのだ。
ずっと真夜中でいいのに。という、メジャーのど真ん中に居ないアーティストを上げることで、カウンターパンチを喰らわないようにしている。

本当は、「Jフェスめっちゃ好きなんだよね」って言いたい。 「櫻坂46のライブ最高」って言いたい。

それができないのは、周りの目ばかりを気にしているから。
周りに自分の好きなことを否定されるのが怖いから。

でも、恥ずかしい、カッコ悪いと思われたくないと思う気持ちが勝って、自分の好きに自信を持てなくなってしまう自分のことは、もっとカッコ悪いと思う。

オタクでもあり、ミーハーでもある。
自己矛盾を抱えた私が、好きを公言できるようになるためにはどうすればいいのだろうか。

客観的な視点が好きへの解像度を上げてくれる

好きを公言するためには、おそらく、自分の好きに対する解像度を上げる必要があるだろう。
とはいっても、私の持論をだらだらと述べるのでは、説得力もなければ、正直知らんがな、の域を出ない。

そこで、ダメ元でフリーの音楽ライター、西廣智一さんに取材を申し込んだところ、なんと快く引き受けてくださるとお返事が来た。(西廣さん、本当にありがとうございました!)

■西廣智一さん
2006年にライターとして「ナタリー」立ち上げに参加。2014年12月からフリーランスとなり、さまざまな媒体で執筆。乃木坂46からオジー・オズボーンまで、インタビューしたアーティストは多岐にわたる。

西廣さんは、日本のアイドルから海外のヘヴィーメタルミュージシャンまで、幅広いジャンルのアーティストへの取材を経験されている。(私が大好きな坂道メンバーへの取材経験も実に豊富だ)

なぜ?を探っていくことで、「恥ずかしい」にがんじがらめになっている自分のタガを外すためのトリガーを探ってみたい。

まず西廣さんに、アイドル好きを公言できない自分が抱える疑問についてうかがった。

>10代・20代の人がアイドルにハマるワケ
西廣さん:理由はおそらく大きく2つあって、それは「疑似恋愛」と「自己投影」です。

―疑似恋愛は想像に易いが、自分はそちらのタイプではない。
「自己投影」に何か大きなヒントが隠されているような気がしてならない。
続けて話を聞くと、その理由が見えてきた。

西廣さん:アイドルと言っても、基本自分たちで歌詞を書くことはありません。歌詞を書くのは本人たちよりもずっと長く生きている人であることが多いのですが、本人たちに聞くと「まるで自分のことを描かれているようだ」と、自身の隠れた気持ちが適確に表現されていることに驚く様子をよく目にします。

きっとそれは、大の大人たちが過去に自分が経験してきた、思春期における「理想」とか「コンプレックス」とかをあらわにしているからなんですよね。それを思春期の渦中にいるアイドルたちが、自分にあてがいながら表現する。それは、想像以上に大変なことだと思います。

―なるほど。話を聞きながら「思春期真っ盛りの中、見せたくない自分をみせること」を想像してみたが、恐ろしくてそんなことは到底できないと思った。なんせ現在進行形なのだから、できるわけがない。

自分の皮をめくることが、どんなに痛いことか。それを彼女たちは、誰ともしれない人に向かってやっているのだ。直接話を聞くことで、改めて彼女たちのパフォーマンスに込められた想いを知ることができた。尊敬しかない。

>憧れとの距離感
西廣さん:本来、昔はアイドルって「手が届かない憧れの存在」だったんですよね。でもSNSを介して、アイドルとファンとの距離は信じられないくらい近くなりました。日常が垣間見れるようになったことで、アイドルという虚像に、人間味がプラスされたわけです。
おかげで、ファンにとってアイドルは、もはや「友達」と同じくらい近い距離にいる存在になっているのかもしれません。

だからライブに行くということは、「友達に会いに行く」くらいのカジュアルなものになっているのではないでしょうか。

―確かにSNSに投稿される内容やライブ配信などで、日常を知ったような錯覚を覚えたことがある。ライブ会場で見る姿の後ろに隠れていたものが、SNSを通して想像できるようにもなったと思う。
そしてそれは、自分にも身に覚えのあるような姿だったりもして、それがアイドルを、完全無欠の存在ではなくて、同じひとりの人間だと思わせてくれるのかもしれない。
続けてフェスについてもいくつかお話をうかがった。

>フェスやライブの正しい楽しみ方
西廣さん:正しいか正しくないかは、正直フェスやライブのキャラクターや文化によっても違いますし、当然人それぞれです。
楽しんでいる証として、なんとなく「ヘドバン」や「モッシュ・ダイブ」のような行為を想像する人もいるのかもしれませんが、もちろんそれだけではありませんよね。

でも一つ共通していることがあるとするなら、「日常の悩みとか嫌なことと恥ずかしさとか、いったん全部閉まっておいて、空間全体を全力で楽しめるもの」だということだと思います。楽しみ方は、静かにしていてもいい、はっちゃけてもいい、それぞれが好きにしたらいいんです。

―私は、フェスで「モッシュ・ダイブ」に参加したことはない。むしろ少し距離を置いて遠目から見てしまう自分に、「何恥ずかしがってるんだよ」なんて思ったりもしたが、別にそんなことは気にしなくてもいいのだ。

>コスパ重視にフェスは最高
西廣さんのお話で、もうひとつ安心した話がある。それは、コスパ重視の考えから、フェスの人気が爆発しているらしい、ということだ。

どこかフェスに参加していながらも、「真のフェス好き」ではない自分に対して勝手に肩身が狭くなっていた。

それがどうだろう。コスパがいいから、フェスに来る人が増えている。
広く浅く、いろんなジャンルの音楽を楽しみたいと思っている仲間がたくさんいるのだ。

西廣さんのお話をうかがって、フェスの楽しみ方を人からどう思われているか考えている自分ってなんてちっぽけなんだ、と思ったし、どうしてアイドルが好きなのかについても核心に迫れたように思う。
特に「アイドル」から得られる要素については、自分の「恥ずかしさ」を取り払うための大きな手掛かりがあるのではないか、そんな手応えを感じた。

恥ずかしいをとっぱらうための「素敵な勘違い」

取材や内省を経て、一つ気づいたことがある。

それは、自分はライブにいくことで「恥ずかしい自分をとっぱらおうとしている」のかもしれない、ということ。西廣さんの言葉を借りると、私はアイドルに「自己投影」している、ということだ。

それは、なぜか。

目の前の演者が、「恥ずかしい」を取っ払って全身全霊で語りかけてくれているから。
自分と同じ一人の人間として、「恥ずかしさ」に抗う姿に勇気をもらえるからだ。

ライブでは、自分を晒しながら闘うひとりの人間を、まざまざと見せつけられる。

思えば自分は、ライブの中でもワンマンのライブで夢中になっていることが多い。

歌って踊るパフォーマンスだけではなくて、観客との距離感の図り方やMCで話す内容に至るまで、舞台上での振る舞いすべてをもってして、一人の人間としてのすごみや親近感をこれでもか!と感じさせてくれる。

自分もこうありたい、そうあれるかもしれない。

そう思わせてくれるのが、ライブなのだ。
そんな素敵な勘違いが、自分の中の「恥ずかしい」を少しだけ減らしてくれているのだ。

おわりに

なぜ、自分の好きに対する自信のなさを克服しようと思ったのかというと、就活の壁にぶつかり始めているからだ。いわゆる「ガクチカ」に直面した際、一番注ぎ込んでいるはずの「ライブ参戦」について書けない自分に、強烈にもどかしさを感じてしまったのだ。

そう思ってどんどん掘り下げてみたら、自分の恥ずかしい部分を露呈することになってしまったのだが。
それでもここで書ききれたことは、自分の好きに対して、ひいては自分自身に対して、少なからず自信を与えてくれたように思う。

またきっと立ち止まることもあるし、また恥ずかしくなって内に閉じこもってしまうこともあると思う。

それでも、他人の目を気にせず自分が行きたいと思ったライブに通うこと。そして参加したライブを夢中になって楽しむこと。それが、「恥ずかしさ」に抗い、ありたい自分に近づけるよう私自身を奮起させてくれるはずだ。

これからも私は、好きを信じて行動し続けていきたい。
自信をもって、自分の好きなものを「好きだ!」と言えるようになるために。

自戒も込めてここにそう記しておきたい。

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