私はゲーム実況を見ることが好きだ。と、胸を張って言える。
一人でゲームをプレイすることはあまりない。けど、ゲーム実況は毎日見る。
どうして、ゲーム実況を見ることが好きなのか?
人が近くにいない気がして眠れなかった夜も、だれかに後ろ指を指されることが怖かった朝も、ゲーム実況に救われてきたからだった。ゲーム実況が、私にとっての拠り所になったからだった。
ゲーム実況は、情報を得るためだけの便利なもの、で終わらない。
ゲーム実況には、人が帰りたくなる場所になる力があるはずだと、そう信じている。
「孤独」と聞いて心当たりがあるあなたに、私はゲーム実況を見ることを勧めたい。
この記事を読み終えてから、どうしようもなく孤独で、どうしようもなく怖くなったとき、ゲーム実況を見たくなっているかもしれない。
ゲーム実況が、孤独と向き合っていくために必要な、あなたにとってのセーフスペースになるからである。
ゲーム実況とは
15〜48歳が回答したアンケート調査によれば、 おおよそ9割の人が説明できる、または推測できると回答した「ゲーム実況」。
「ゲーム実況」とは、攻略法、感想、解説等を話しながらゲームをプレイする様子を動画やライブ配信等で配信するコンテンツのことを指す。
自分で遊ぶからこそ、ゲームは面白いのではないか?
人がゲームで遊んでいるのをただ眺めることに、なんの価値があるのか?
ゲーム実況ならではの特徴は、「だれかがゲームをしながら、ああでもない、こうでもないと言っている」という状況を作り出すという点にある。
そして、この「だれかがゲームをしながら、ああでもない、こうでもないと言っている」という状況に、孤独に悩む人にとっての大きな価値が潜んでいる。
そもそも、孤独ってなんだろう
私にとって、孤独を感じるときはいつも「人がわからないとき」と「人にわかってもらえないとき」だった。
孤独をしっかり認識したのは、学校へいけなくなったとき。体が動かなくなり、心も学校に向かなくなった。
そんな私にとって一番しんどかったのは、誰とも分かり合えないという感覚だった。
体が動かないということが、誰にも伝わらない。
学校に当たり前のように行ける人や、学校に行くべきだと主張する人の気持ちがとても遠くにあるように感じて、「人がわからない」と思った。
この感覚こそが孤独の根源だった。
以降、私にとって「孤独」とは、「人がわからないこと、人にわかってもらえないこと」だと認識するようになった。
アンケートにおいても、「孤独」とはどのようなものかについて、さまざまな回答があった。
「自分の時間を誰かと共有したいときにその相手がいないときに感じる感覚」
「誰にも話せない、一人で抱えるしかない、というような状態」
これらの回答からもわかるように、孤独とは、人となにかを共有できないことにある。
逆にいえば、人となにかを共有することで、孤独を和らげることができる、とも言えるのかもしれない。
どうしてゲーム実況が「孤独に悩む人」にとって良いのか?
ゲーム実況の決定的な特徴とは、前述の通り、「だれかがゲームをしながら、ああでもない、こうでもないと言っている」という状況にある。
例えば、ゲーム内の会話シーンにおいて、実況者が選択肢を選ぶ場面がある。
どの選択肢を選ぶのか、どうしてそれを選ぶのか、どうして他は選ばないのか。
実況者は、自身の考えや意見を言いながらゲームを進めていく。
「このキャラクターはこういう性格だと思うから」
「今のご時世的に、こういう発言はあまりよろしくない気がするよね」
「自分はこういう言葉選びのほうが、好き」
ゲーム実況には、実況者たちの解釈や性格が色濃く滲み出る。
ゲーム実況が作り出す「だれかがゲームをしながら、ああでもない、こうでもないと言っている」という状況を体験すればするほど、私たちは「人」 を知り得る。
そして、実況者と私たちの間にある共通点や相違点を探ることが可能になっていく。
「この人の意見、私が思うことと違くて面白い。」
「この人が目をつけるところ、なんか似ていて嬉しい。」
「なんでこういうことを思うんだろう。」
ゲーム実況者の考えに触れる。そして、実況者と自分の視点をつなげたり、比べたりする。
それは、人となにかを共有することと同義なのではないか。
私たちは人となにかを共有したとき、「孤独」を忘れることができる。
だからこそ、ゲーム実況は孤独に悩む人にとって良いといえる。
ゲーム実況だからこそ、できること
ふと疑問に思うかもしれない。
「孤独を癒したいんだったら、他の方法でもいいのではないか。」
「人と会ったり、話したり、友達と一緒にゲームで遊んだりすれば、解決しそうだし。」
「ゲーム実況なんて、実況者の意見を知るだけで、さみしさを解消できるくらいの深い関係はできなさそう。」
しかし、孤独を抱えている人は、人と交流することに対してなにかしらのハードルがあるのではないか。
例えば、人に自分の意見を知られたくない、という気持ち。人と意見が異なることが怖い。否定されるのが怖い。うまく伝わる自信がない。いちいち言葉にするのがめんどくさい。分かり合えると思えない。自分のために時間を使ってもらうことに申し訳なさを感じる。
私が学校に行けなくなり、孤独に悩んでいるときも同様だった。
学校に行けないという気持ちを理解してもらうことの難しさから、人の目が気になる。いったい何を言われるだろうか。相手は意図していなくても、棘のあることを言われるかもしれない。
この葛藤が、例え孤独を感じていて、解決したいと思っていたとしても、孤独を解消するために人と交流しようという気力を蝕んでいく。
元々ハードルなんてなければ、そもそも孤独に悩むこともなかったはずだ。悩む前に孤独は解決されているはず。
ハードルがあるから、私たちは孤独を感じざるを得ない。感じつづける孤独が、やがて悩みになる。
実際に行ったアンケートにおいては、孤独感を和らげるのに「人と対面・オンラインで交流すること」が役立つと答えた人の中で、約半数の人がハードルを感じると回答している。
この孤独を解消するハードルこそに、あえてゲーム実況を見ることの、セーフスペースとしての価値が潜んでいる。
私自身の体験の話に戻そうと思う。
私が学校に行けなくなったとき、人の視線が怖かった一方で、人となにかを分かり合いたい気持ちがあった。
そんな私は、ゲーム実況と出会ったおかげで、久しぶりに「人がわかる」という感覚を得た。それが私の「孤独」を癒した。
ゲーム実況の紛れもない価値は、限りなくハードルが低い状態で人と関わることを可能にする点にある。
確かに、人と会う、連絡を取り合う、SNSで意見をシェアしあう等の直接的な交流と比べると交流の深さは劣る。
しかし、ゲーム実況では、傷ついたり、疲弊したりするリスクを負わなくて済む。
自分がどう思うか、言わなくてもいい。誰かが自分のことをどう思うか、別に気にしなくていい。
でも、人がゲームに対してどう思うかを、臨場感をもって知ることができる。心の中で勝手に比べてみたり、新しい視点を手に入れたり、共鳴したりすることができる。
さらに、ゲーム実況が私にもたらしてくれたものは、まだあった。
当時の私にとって、ハードルが低く安心感が確証されているものだからこそ、ゲーム実況は「ここなら大丈夫だ」と思えるセーフスペースになってくれたのだった。
そして、セーフスペースとしてのゲーム実況は、やがてゲーム実況以外の人との交流に再び挑戦することへの勇気をもたらしてくれた。
学校に完全復帰はできずとも、起きられるときは、行けるタイミングで学校に行こうとするようになった。クラスメイトと話すことは難しくとも、数人の先生と別室で話をしてみるようになった。
どうしてゲーム実況が、そのような勇気をもたらしてくれたのか。それは、限りなくハードルが低い状態で人と関わることを可能にしてくれるゲーム実況が、私にとって「なにかあっても大丈夫な場所」になったからである。
「ちょっと頑張って人に打ち明けてみるか、まあ、うまくいかなかったらゲーム実況を見ればいいし。」というように、私は少しずつ外に出ようとすることができた。
ゲーム実況はセーフスペースとして、人が孤独を「癒す」だけではなく「向き合う」ことを応援してくれる。
ゲーム実況だけでは孤独の根本的な解決に至らない。
ゲーム実況に一時的に救われたとしても、孤独の原因は残ったままで、それが消えることはないだろう。
けれど、ゲーム実況は私たちのセーフスペースとして居続けてくれる。
「ちょっと頑張って人に打ち明けてみるか、まあ、うまくいかなかったらゲーム実況を見ればいいし。」と私が思えたように、ゲーム実況は私たちを一歩前に踏み出させてくれるかもしれない。
ゲーム実況というセーフスペースがある安心感は、私たちが抱える孤独と向き合う勇気をもたらしてくれるのではないだろうか。
さみしくて仕方がない。けど、傷つきたくない。
孤独はいやだ。だから、孤独と向き合う勇気がほしい。
そんな人におすすめしたいのが、セーフスペースとしての、ゲーム実況だ。