Q1:学生編集部に参加することになったとき、どう思ってた?
素直にうれしかった。
応募時の私は、当時の自分にマンネリを感じていた。大学にも慣れて、新しい生活や人にも馴染んで、穏やかだけれど自分の成長や変化が止まったような気がしていた。
排水溝が詰まったような、刺激が足りないような、「脱皮」の時期を感じるような・・・というところで、学生編集部の参加が決まった。
学生編集部は、脱皮のための「なにか」をぼんやりと探すなかで、心が動いたものだった。
ウェブサイト等にあるひとつひとつの言葉、応募課題、メンターのラジオ、書類通過後の面接、会話のテンポ感、会話に持ち込まれる視点、私がなにを話したくなるか、メンターたちはなにを聞いて語ってくれるのか。すべてが私のなかでしっくりきた。
だから、参加が決まったとき、脱皮に向けてのなにかの歯車が動いた、と思った。わくわくした。
受かるかどうかわからないとか、既にあるコミュニティや活動で十分とか、忙しいとか、時間がないとか、疲れてるとか、色々挑戦しないための理由はたくさん思いついた。けれど、そういうのを理由に自分の「脱皮したい欲」を無視しなくてよかった、と思った。
Q2:学生編集部に参加してみて今、どう思ってる?
まずは、ちゃんと記事を書き上げられてよかった、という安堵。
それと、「この場所は私にとって”いい”場所になるだろう」という、応募を決めたときの直感はやっぱり間違いなかったということ。
前述の通り、学生編集部には「こういう人たちと出会いたい」というような、ときめくものを直感したから、応募した。
そして、参加してみてからというもの、いろいろ紆余曲折あった。
時差がある中オンラインでの参加を試み、うまく温度感を掴みきれなかったり。記事のアイデアや執筆を進めることができなかったり。
テーマを変えるか変えないかずっと行ったり来たりして、いろいろ葛藤して、最終的に「テーマを変える!」と言い出したり。テーマを変えてからのタイムスケジュールに追われたり。
記事やアンケートに対して、丁寧かつ的確にアドバイスをいただいて、食らいながらも食らいついてみたり。
最終的には、記事を書きあげることができた。
そして何より、記事を書きあげることができたのは、応募時の直感あってこそだった。テーマに行き詰まったときにほんの少しの体力と気力を振り絞って踏ん張れたのも、その後フィードバックに食らいついていけたのも、学生編集部へのときめきが私の背中を押してくれたのだった。
「学生編集部をはじめて知ったときの、ここは素敵な場所だというあの直感は、紛れもないものだった。」
「だから、私は大丈夫だ。その直感を信じて、人と場所を信じて、なんとかやりぬいて、あの直感が正しかったものだと言えるようにできるはずだ。」
という気概と、やや負けず嫌いなところが、どこかにあった気がする。
編集後記を書くいま、学生編集部に参加してよかったといえる私でいることができている。
ただ同時に、「学生編集部に参加してよかった」の気持ちは、多分学生編集部の活動が終わった後の方がより増すんじゃないか、とも思っている。
テーマを変え、時間に追われ、オンラインでの参加がつづいたからこそ、もっと学生編集部のことと、そこにいる人のことを知りたいという悔いが残る。
だから、学生編集部の人たちに、活動が終わっても、ぜひ会いに行きたい。というより、活動が終わるからこそ、会いに行きたい。
Q3:学生編集部、一番うれしかったことや楽しかったことは?
活動キックオフ時の対面での活動に参加することができず、ずっとオンラインで参加した後、やっと12月に対面で活動に参加できたこと。
その対面での活動をきっかけに、学生編集部の温度感や方向性を感覚として掴むことができたこと。
「自分が本当に言いたいことはなんなのか」「それは学生編集部の目的において適切なのか」ということを再考することができたこと。
結果、テーマをコピーライティングからゲーム実況に変更する決断に至れたこと。
アイデアが止まらなかったとき、とってもわくわくしたこと。
Q4:学生編集部、一番の戸惑いや難しかったことは?
テーマの選定。
既に分かっている「好き」と新たな可能性になりうる「好き」の、バランス。
目的を見定めて、出すべき武器とそうじゃない武器を冷静に判断すること。
コピーライティングは私にとって、自信をもって好きと語れるものではないけれど、新たな可能性だった。
その上で学生編集部の目的を見つめ直したときに、コピーライティングはこの場所で深掘るべきものではないかもしれない、と思った。
かといって、コピーライティングは自分の新しい可能性のままであるという認識の保ち方がとても難しかった。ある種の葛藤だった。
Q5:学生編集部の活動で一番感情が揺さぶられた出来事は?そしてそれはどう作用した?
自分のための文章と、人に伝えるための文章。その棲み分けと、塩梅。
学生編集部で書く文章は、自分の好きなものに基づきながら、自分の大事にしたいことを絡めて、声をだれかに伝えるための文章だった。
だからこそ、自分の内側と向き合うことと、それをわかりやすく的確に自分以外の人に伝えること、両方が必要になった。
自分の視点や声がまったく必要のないものだったら、自分がどう思うかはまったく考えず、オーディエンスに合わせてウケそうなものを書けばいい。
誰かに届ける意図がないものだったら、自分だけがわかるように、自分に響くものや好きだと思うものだけを詰め込めばいい。
けれど学生編集部で書く文章は、その両方をバランスよく取る必要があった。
それがとっても難しくて、特に初稿を書き上げてから最終稿までもっていく期間がしんどかった。感情が揺れ動いていたのがわかった。
私の場合、自分の声や、想いや、精神的なところが自分の文章と繋がっている感覚が強い。
だからこそ、フィードバックを経て自分の文章を変えていくと、自分の声なのか誰かのための声なのかわからなくなることがある。
でも、学生編集部は「自分の大事にしたいことを探る」だったから、私の心や五感を殺すべきではないことはわかっていた。ロボットのように、自分の文章を社会と人のための生産物として磨くべきではないことがわかっていた。むしろ、心がよろこぶ感覚を中心に置くべきだった。
一方で、公の場に出す文章だから、人に受け取ってもらうための手直しや、調整や、工夫も必要だった。
メンターの皆さんの力も借りながら、この棲み分けと塩梅を考えるとき、とても感情がぐるぐるした。
自分の気持ちの整理もつけながら、文章と適切な距離を図った。とても奮闘したところだった。
Q6:学生編集部で一番の収穫は?発見は?
ゲーム実況という生粋の趣味を、こういう公の場(しかも、真剣に探究する場)に出したことがなかった。だから、学生編集部でゲーム実況をテーマに据えたことは、私にとって新たな試みだった。
結果、ゲーム実況と真剣に向き合ってみて、日々の生活をゆたかにする小さな喜びにも、「どうして私はこれが好きなのか」という疑問から、自分の核にあたるものが隠れていることが分かった。
自分はどういうことを大切にしたいのか、どう生きたいのか、そういう信念や哲学的な自分の側面が、ゲーム実況という何気ない意思決定にも潜んでいた。
一見考えなしに好きだと思っていたものも、自分を構成する要素の一つになってくれていると知れる。そういう風に紐解くことで、自分は案外自分らしく生きているな、という少し誇らしい気持ちになる。
小さな娯楽であるゲーム実況のことも、自分のことも、より愛すことができた気がしてくる。妙にすっきりした気持ちになる。
Q7:学生編集部の目的「将来に向けて大事にしたいことや考え」は得られましたか?
「孤独と向き合おう」というシンプルなスタンスではなく、「孤独は完璧に拭いきれない、けど孤独と向き合ってみようと思う」という複雑なニュアンスを、私は大切にしたいのだと思った。
ゲーム実況は、孤独を完全に消し去ることはできなくても、人にとっての拠り所になり、明日を生きる小さな勇気を与えてくれる。
孤独が解消可能なものという前提で扱うと、どうにもしんどくなってしまう。
だからこそ、完全に消え去ることのない孤独を半分諦めて、それでもなお生きていくことが、自分にとって最もしっくりくる生き方だと分かった。
Q8:これから数年ある学生生活。どんな時間にしたいですか?
消えない孤独を半分諦め、それでもなお向き合っていくための居場所を大切にすること。それと、だれかにとっての小さな居場所になること。
大学の仲間たち。インターン先で出会った人たち。地元の友だち。全国・全世界にいる、素敵な人たち。既に出会ってきた場所に、たまに帰って、「人生どんな感じ?」って言いたい。
人らしい人だけじゃなく、私の居場所として機能してくれるゲーム実況、音楽、柄物のアイテム集め、読書、ドラマ、猫、紅茶とコーヒーと、オープンカーも大事にしたい。私としての輪郭を保つために、一息つくことを忘れたくはない。
私という存在が、私にとってのゲーム実況のように、完全なる救いにはならずとも誰かにとっての一息つく時間になれるような人間になりたい。
肯定はしないけど否定もしない、引き込みもしないし引き剥がしもしない。私は、「苦しみは消えないけど、ちょっと生きてみようって思わせてくれる人」になりたい。