茶釜と心中する生き方

自分が大事にしたいことってなんだろう。
この学生編集部の大きな軸である。

これにきちんと答えられる人はどれだけいるだろうか。
もし答えられたとして、それをずっと大事に持っていられる人っているのだろうか。
確固たる”自分”を持ち続けること。これには相当な覚悟と信念が必要だ。
ましてや人間ひとりで生きていくことはできない。環境や外的要因によって、どうしても”自分”を曲げなければならない時だってある。

多くの人間がどこかで”自分”に妥協して生きている。
だからこそ”自分”を貫く珍しい人間がいると異彩を放つ。
そんな”自分”、”好き”を貫いた人として私が真っ先に頭に浮かんだのは戦国武将の松永久秀であった。

彼がどんな足跡をたどってどのように評価されているかは、ここでは深く掘り下げない。戦国三大梟雄の一角として名高い久秀だが、名物茶器をいくつも所有し文化人としての嗜みも持った人物でもあった。そんな彼の最期はとても印象的だ。彼は自身が裏切った信長軍に包囲され、名物茶器として有名な平蜘蛛の茶釜を条件に命を助けるといった講和条件を跳ね除け、その茶釜と共に火薬で自爆した話は聞いたことのある人も多いだろう。

私ははじめ、「茶釜さえ差し出せば助かったのかもしれないのに、惜しいことするなぁ」と思っていた。

考えてもみてほしい。
もし自分が同じ立場に立たされたら?
「どうぞどうぞ、平蜘蛛もなんなら茶碗も全部セットでお得につけちゃいます!」
速攻で差し出して、命乞いをする未来しか見えない。ついでにおかわりまでサービスしちゃう。

ただ久秀はそうしなかった。

彼は最後の最期に「好き」を貫いた。
生き延びる道は、たしかにあったはずだ。
茶釜を渡せば、とりあえずその場の命は助かった。
戦国という時代の荒波を、ずっと上手く泳ぎ続けてきた彼なら、
「次の一手」も、もしかしたら考えられたのかもしれない。

——それでも、彼は選ばなかった。

茶釜を手放してまで生きる未来は、
久秀にとって「自分を捨てる」ことと同義だったのかもしれない。
もしそうなら、それはきっと、ただの延命にすぎない。
何度も裏切り、何度も主を変え、それでも最後まで「自分の場所」を見つけられなかった。
強者の流れに身を任せ、どこまでも生き抜くことだけを考えていた彼が、
最後の最後で 「もう、これでいい」 と思えた瞬間があったのではないか。

——いや、違うな。

「これでいい」じゃない。
「こうじゃなきゃ、嫌だ」だったのかもしれない。

だって、これは 消去法の決断じゃない。
迷いに迷って、それでも最期の一線を越えた時、
彼はたしかに 「好き」 を貫いたのだ。

命よりも、自分が本当に大切にしたいものを選んだ。
それはつまり、 「自分を、自分として終わらせる」 ということだったのかもしれない。

最期の最期に、彼はようやく「自分の意志」で選ぶことができた。
それって、めちゃくちゃ強くない?

だって、私にはできない。
「好き」よりも、「生きる」ことを選んでしまう。
きっと、誰だってそうだ。
それが普通だ。

……だからこそ。

「この死に方、カッコよくないか。」

そう思ってしまった。

なぜだろう。それはおそらく羨望だ。
命と「好き」を天秤にかけたとき、「好き」を選べる強さ。

私が久秀に感じたのは、「迷わなかったこと」への憧れじゃない。
むしろ、きっと彼も迷ったんじゃないか、と思う。
死ぬのは怖くなかったのか?
もっと生きたいとは思わなかったのか?
他に選択肢がなかったわけじゃないのに、それでもこの道を選んだのか?
考えれば考えるほど、その決断の重さに圧倒される。

迷いがなかったわけじゃない。
むしろ、彼の中にも葛藤があったはずだ。
それでも、「こっちだ」と決めた。
その覚悟の強さが、私にはまぶしく映ったのだ。

だって、私にはできないから。

もし私が同じ立場だったら?
久秀のように、すべてをかけて「好き」を守れるか?
——いや、できない。

迷う。
あがく。
死にたくないと思う。
どんなに「好き」でも、それを捨ててしまうかもしれない。

そして、後で「仕方なかった」と言い訳する。
「そうするしかなかった」と、自分に言い聞かせる。

でも、久秀はそうしなかった。

迷った末に、選び取った。
最期の瞬間に、「これが俺の生き方だ」と決めた。
その強さに、私は抗えなかった。

最初は批評するつもりだった。
「大事なものを守ること」と「社会とのバランス」について取材する予定だった。

でも、気づけば私は久秀に感情移入していた。
彼の最期は、思っていた以上にかっこいいのかもしれない。

もし、自分にもこんなに大事にできるものがあれば——
こんな最期も……いや、それは無理だな。

それでも。

久秀、お前かっこいいな、誇れよ。
令和の女子大生は、そう思った。

とはいえ、久秀も主君・三好家に反旗を翻したり、
上杉家に呼応しようとしたり、
信長を何度か裏切ったりと、
お世辞にも「自分を確立している人物」とは言い難い。

そんな彼が最後に見せた死に様は、彼なりのけじめだったのかもしれない。
戦国という大きな時代のうねりの中で、強い勢力に飲まれ続けた自分に、
久秀自身も辟易していたのかもしれない。

「最期くらいは、自分の『好き』と共に、一発かましてやろう。」

もし、そんな気持ちがあったとしたら……なんて面白いんだろう。
そんなことを思いながら、今日も私はそっとお茶をすすった。

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