女子大生、直江兼続への道

どうも「城とキャリア」で記事を書いております、うさしろです。
わたくしこの学生編集部の記事において、1本目は「キャリアにモテる茶坊主」で石田三成について書き、2本目で「茶釜と心中する生き方」で松永久秀、そしてこちら最後3本目で直江兼続になろうとしている。

「城について書いてないやんけ!」

そんなツッコミが四方八方から聞こえてくる。
なんなら城というワードより茶の方がよく出てくるしな。
まあ落ち着いて欲しい。

別に城を蔑ろにしている訳ではない。

なんの予定もない休日、私は優雅に朝食を嗜んでいた。気づいたら昼過ぎには館山城の眺望を腕を組んで楽しんでいた。東京湾、相模湾の水面が輝いていた。

四国旅行に行った。帰ってきた時行った場所を思い返してみた。丸亀城、松山城、宇和島城、高知城、その他マイナー所多数。城しか行ってないことに気がついた。讃岐うどんは美味しかった。

まぁおそらくこの人間は城が好きなんだろう。そこは理解してほしい。
現代に生きる私にとって城は戦国時代とつながれる手段であり、戦国時代を感じる場所なのだ。(現代にある城に多くの手が加えられていることはもちろんわかっているがまぁ気持ち的な問題である)もちろん「この石垣かっこいい〜」とか「この堀芸術的〜」とか思わないこともない。ただどちらかというと乱世に見える戦国武将たちの人間らしい生き様であったりエピソードが好きなのである。
要するに城は”好き”の象徴である。

そんな私の一番好きな戦国武将は直江兼続である。
ご存じない方のために軽く説明させていただくと、直江兼続は上杉景勝の重臣として仕えた戦国武将であり、軍事・政治・外交に優れ、特に財政・行政面で上杉家を支えた人物である。兜の「愛」の前立てや関ヶ原の戦いのきっかけのひとつと言われている「直江状」でご存じの方も多いだろう。

私がいつから彼の虜となっていたかは正直覚えていない。
確か小学生高学年から中学生にかけてもうそこら辺の本を読み漁っていた気がする。
朝読書の時間には毎日戦国時代の本を読み、日本史の数少ない戦国時代の話でニコニコしすぎて先生にドン引きされたり、終いには直江兼続の墓の前でここに住もうかと真剣に考えて母親に心配されたのも今となっては良い思い出である。

一体あなたは直江兼続のどこがそんなに好きなんですか。
そう聞かれたら困ってしまう。

なんせ全てが刺さるのだ。

家族、友達、恋人、推し…好きな人がいたらどうするだろう。
その人のことを知りたい、知ってもらいたい、そばにいて欲しい。色々な思いがあるだろう。(まぁ私の場合歴史上の人物のため後者2つは不可能であるが)
『好き』が行き着く先は、その人になりたい、なのだと思う。

そこで、21世紀を生きる女子大生は16世紀を生きた戦国武将、直江兼続になろうと考えた。

兼続といえば「文武兼備の智将」と評されることが多い。実際彼について調べれば調べるほどその才能と経歴に感嘆してしまう。
ぶっちゃけ言うと、羨ましい。

六尺(約180センチ)の長身に、理知的で端正な顔立ち。弁も立ち、学問に秀で、文化を愛する一方、武と政の才にも恵まれた。生涯ただ一人の正妻を貫き、主君・上杉景勝への忠誠を貫いた人物

もうね、やってらんない。解散だよ。

はじめから完全に直江兼続になるのは無理なのはみなさん薄々気づいてはいたでしょう。
まず上杉景勝公を見つけに行かなきゃ。求:上杉景勝
現実性を度外視してもただこうスペックを見るとまぁ、なおさら無理。

ただ、ここから彼の精神を汲み取ることはできる。

彼の才能はもちろんあっただろう。しかし、それ以上に彼はすべてのことに真摯に向き合い、「義」を持って生きていた。

令和の時代、私たちは膨大な情報の中に生きている。

SNSを開けば「これが今流行ってる!」「こっちの方がコスパがいい!」という情報が次々と流れ、何を選ぶか、どう生きるかすら、誰かの意見に影響されがちだ。

でも、兼続だったらどうだろう? 彼は決して「流される」ことをしなかった。彼は「時代の流れ」に乗るより、「義」を大事にした。たとえば、関ヶ原の戦いを前にした直江兼続が、もし「世の流れ」に従うだけの人物だったなら、徳川にさっさと臣従していたかもしれない。けれど彼は、「義」を貫くために、上杉家の存続をかけて徳川に抗い続けた。時代の空気を読むことはあっても、決してそれに流されはしなかった。

現代の私たちも、何かを選ぶときに「みんながそうしてるから」ではなく、「これは本当に自分の信念に合っているか?」と問いかけることが大事なのかもしれない。 仕事を選ぶとき、付き合う人を決めるとき、何か新しいことを始めるとき—— その判断基準が「流行ってるから」「こっちの方が得だから」だけになっていないか? 「自分はどう生きたいのか?」それを見つめることこそが、「義」を持って生きるということであり、現代版の「兼続的生き方」なのかもしれない。

兼続ってSNSやってなさそう。いや、やってても絶対、見る専。

歴史とは勝者の物語だ。 敗者の名は、時に風化し、塵となる。

だが、彼は違った。 関ヶ原で敗れようとも、その名は消えず、むしろ時を経るごとに静かに輝きを増していく。時代の波は常に価値観を塗り替えていく。 しかし、「義」を貫き、自らの信念に殉じた者の足跡は、消えることがない。流されることなく、自らの道を選び取った者の生き様は、 時を超え、言葉を超え、今を生きる私たちの記憶に残り続ける。 その思想は、こんな小娘の戯言さえ包み込むほどに深く、広い。

この記事一本では語り尽くせぬほどの魅力を持つ彼は、これからも多くの人の心に残り続け、魅了し続けるのだろう。

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