解釈の違いを検証したら、反省に次ぐ反省だった話。

お疲れ様です!ことはです。

今回、第二回の記事では先日開催した「ドキュメンタリーを観て意見を交わしてみようの会」を通して私なりに考えたことについてお話ししていこうと思います。

鑑賞会について

この鑑賞会、第一回の記事で浮上した「解釈の違いについて」というキーワードのもと、同じドキュメンタリーを観て、人によってどれくらい解釈に差が出るのか検証するべく開催してみました。参加してくれたのは同じ寮に住む友人5人+わたし。生まれも育ちも関心の領域もちがう6人で同じドキュメンタリーを観て、意見を交わし合いました。

今回取りあげたドキュメンタリーは、地域おこし協力隊に参加したAさんが主人公的立場。現地の住民との間に発生したトラブルについて自身のYouTubeチャンネルに投稿したところ、予想以上の反響をよび、その地域への非難が殺到してしまったそうです。ドキュメンタリーでは、Aさんと現地の住民、地域おこし協力隊を管理している自治体の3つの視点から問題を振り返る形で進んでいくため、ある程度偏りなく情報が伝えられていると感じたことが鑑賞作品として選んだきっかけにもなっています。

わたしとみんなの解釈

まずは私の解釈から。問題となったYouTubeの動画では、Aさんの視点のみからトラブルの経緯が語られていましたが、このドキュメンタリーでカメラという無関係な第三者が介入することで、Aさんと地域住民の双方の思いを反映させ、問題を新たな視点で捉え直すことができていると感じました。また、地域おこし協力隊に参加する目的が「この地域を盛り上げたい」「この地域の魅力を発信したい」というその地域中心のものではなく、キャリア形成などの自分が中心となってしまうと、その地域の方とのトラブルが起こりやすいのかなとも思いました。

そしてみんなの解釈。今回扱われていた地域と似たような環境で育った子は住民の方に同意する部分が多いと感じたと話していて、育った場所によっても解釈が変化していくのだなと思いました。おもしろい。また、「地域おこし」に対する考え方がさまざまであることが今回の問題の要因であるのではという意見や情報の伝え方次第で印象が変わること、背景音楽の不穏な感じがテーマに合っているという意見などなど、ドキュメンタリー内容の本質に迫るものから構成の観点からのものまで、さまざまな解釈があってとても興味深い会となりました。楽しかったなあ。

「解釈の違い」以上の大きな気づき

そして今回の鑑賞会、「自分とはちがう他の人の解釈を聞くことができておもしろかった」という感想以上に反省というか、大きな気づきがありました。それは、他の人が考えていることそのままを引き出すことが思っていたより何百倍も難しかったということです。この鑑賞会の目標は、それぞれが感じたこと・考えたことをありのままに伝え合うこと。でもそれは想像していたよりもとってもとっても困難なことだったのです。

まず最初の反省点は、危険ワード「自由に」をむやみに使ってしまったということです。
今回の鑑賞会での目標。それはそれぞれが感じたこと・考えたことをありのままに伝え合うことのできる空間をつくって、さまざまな解釈の違いを検証すること。だからこそ、思ったことを正直に発言できるようにと思い、鑑賞会の初めに「ドキュメンタリーをみて思ったこと・考えたことを自由にメモして発表してほしい」と伝えました。でも、その言葉を受けたみんなの表情には、どこか「どんなことを言えばいいのかな」という不安があったような気がします。
良かれと思って言った「自由に」という言葉も、今振り返ってみると投げやりで、言われた側からしてみればものごく戸惑う言葉だったよなとかなり反省。解釈の違いについての記事を書くために、人それぞれの個性のある意見が欲しいというよこしまな意図と焦りがあったのかも。ほんとに反省。

そして続いての反省点は、誰よりも先に私が感想を発表してしまったこと。
ドキュメンタリーを観た後、初めに私が自分の考えを伝えて、その後で順番にひとりずつ感想を発表していく形式で進めていきました。だけど、この形式がよくなかったみたいなのです。
形式に問題があることに気づいたのは、鑑賞会の後で、ドキュメンタリーを見ながら書いていたみんなのメモを読んだことがきっかけ。メモの内容を見てみると、鑑賞会の時の発言よりもみんなの考えがバラバラであることに気がつきました。鑑賞会のときは、何を言ってもOKな雰囲気作りがしたくて一番初めに感想を述べたけれど、実はそれが今回の鑑賞会における発言の制限を生み出していた可能性もあるなと思うのです。一番作りたくなかった鑑賞会の流れを、自分自身で作り上げてしまうという大失態を犯してしまっていました。

こんなにも反省の多い鑑賞会になってしまったけれど、それでもやっぱり、何かを観たときに自分の考えを伝えつつ、相手の考えも教えてもらうことが私にとってすごく“わくわく”するということ。そして、この楽しさをもっと味わいたいということをこの会を通して強く思いました。だからこそ、もう一度リベンジ鑑賞会を開催したい!!!

じゃあ次、どうしてみる?

私の理想は、それぞれが感じたこと・考えたことをありのままに伝え合うことのできる空間。その空間を作り上げるにはきっと、発言の縛りがなく、なおかつ“自由の押し付け”のない雰囲気づくりが必須であると、反省を踏まえて思いました。では、その雰囲気をつくるにはどうすればいいのか。

いやー、なかなか難しい。いくら考えてもなかなか良い案が浮かばないので、悩みに悩んで頑張って絞りだした案をお伝えしようと思います。それは、「何かを食べたり飲んだりしながら、まるで実家のリビングでテレビを見ながらだらだら話す」ような鑑賞会にすること。私、思ったんです。グループディスカッションみたいに一人ずつ発言権を回していく今回の形式はなんだか気が張るし、いいこと言わなきゃみたいな気持ちになるんじゃないかって。でも普段会話しているときに、ぽろっと本音が漏れちゃうことってあるじゃないですか。その本音こそ、今回求めていた「感じたこと・考えたことをありのまま」なのかなと思って。何か食べながら、他愛もない会話をしているうちに、「自由に」という言葉を使わずして、なんでも言っていい雰囲気を作り出すことができそうな気がするのです。もはやドキュメンタリーを観ている間もメモとかせずに、思ったことをぱっと話せるようにすれば、なんだか理想の鑑賞会になりそうな予感。
ということで、次回の鑑賞会では、「飲食しながら」「他愛もない会話を織り交ぜて」「鑑賞している最中から意見を交わす」という形式で再挑戦してみようと思います!参加者大大大募集中です!(笑)

話が変わるのですが、今回の鑑賞会で強く印象に残っている意見がありました。それは、そもそも今ドキュメンタリーが映している部分も取材の中のほんの一部で、たくさんのカットをつなぎ合わせているわけで、わたしたちはすべてを観ることはできないという意見。「うわー、確かに。」と思うのと同時に、このドキュメンタリーに限らず、テレビの報道や番組でも同じことがいえるのではないかと思いました。そこにあるものをそのまま映したいと思っても、結局視聴者に届くものは現実のほんの一部で、そしてそれを観た人それぞれの受け取り方をするわけで。製作側の人は番組をつくるうえで、どんなことを思って、どのような工夫をしているのか気になってきました。

そこで!次回、第三回の記事では「テレビを製作している人、めちゃめちゃいろんなこと考えている説」と題して、実際に番組を制作している方にお話をうかがってきます。私自身、最近ドキュメンタリー制作に興味があるのでディレクターの方とお話しできるのはめちゃめちゃ貴重な機会!!たのしみだー!ということで、次回の記事もお楽しみに。
最後までお読みいただきありがとうございました!

p.s.
みんなのおかげで、自分だけだと見えないものが見えて、新しくて大きな気づきが生まれた鑑賞会となりました。参加してくれた5人、ほんとうにありがとうございました!!これからもよろしくね^^

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