私は証明されたものであれば絶対に覆らないと信じている。
数学的な証明は確実性があり、覆ることのないものとして認知されている。
これは数学の教科書に載っている定義はもちろん日常でもそう思う。
逆に証明されてなかったら100%信じることはできない。
例えば幽霊とか宇宙人とか。いるという証明が出来ないから私は信じない。
日常生活まで証明できるかどうか考えるのは数学を学んでいるからなのだろうか。
数学では一度証明されたものに疑いの余地がない。証明されていないことは、それを事実として受け入れることはない。こうした考えが日常生活にも影響していると感じていると思うと同時にふっと一つの疑問がわいてきた・・・。
「私の考え方って理系では一般的な考え方なのかな…、文系の人にとってはちがうのかな・・・。」
ということで今回はそれを検証してみた。
アンケート
今回の検証のために「この世の中に絶対に当てはまるものはありますか」という質問をした。
その結果が上のグラフである。
理系の人は「絶対」がないと思っている人が多く、文系の人は「ある」と思っている人が多い。
理系の人で“ない”と答えた人の中には「あるという証明が出来ない」という意見があった。理系の人の思考では、物事が確かなものであるためには証明が必要であり、その証明が出来ないものについては「絶対」というものを認めないと考えている。
さらに、「絶対という言葉は絶対にないから」という意見もあった。これは言葉自体が相対的で、状況や人によって変化するため、絶対という概念が存在しないという考え」である。
一方、文系の人で”ある“と答えた人にその絶対は何か聞いたら「家族愛」や「自分が大切にしていること」、また「信念」、「想い」、「愛」、「憎しみ」という感情や価値観が揺るがないという意見があった。
これらの意見は、文系の人々が物事を証明できなくても確信を持つことが出来るという特徴が現れていると思った。
アンケートではさらに「結果か過程か、どちらを大切にしますか?」という問いも問いかけてみた。
この問いでは、理系の人は結果を大切にすると答えた人が過程を大切にすると答えた人よりも一割多いだけでどちらかに偏るという結果ではなかった。また、文系の人も同様に結果を大切にするという人と過程を大切にするという人はほぼ半数ずつに分かれる結果となった。つまり理系と文系で大きな差は見られなかった。
理系の人々は実験や証明を重視する傾向があると考えていたため、この結果は私の予想とは違っていた。しかし、結果と過程の重要性において理系と文系で差が出なかったことから、理系と文系の間に共通点があることも分かった。
この結果は、理系と文系の人々が異なる思考法を持ちながらも、根底においては共通の価値観を持っていることを示唆しているのではないかと思う。
アンケート結果から
理系の人と文系の人で言葉のとらえ方や考え方が違うことや同じことがそれぞれあって、特に文系の人は「愛」とか「信念」とか抽象的に考えることが多いと思った。そして逆に理系の人は予想通り証明されているかを日常でも考えている人が多い。
今回は自分で質問の内容を考えたので、私が調べたこと以外にも文系と理系で回答に差が出そうなことはたくさんあると思うし、それが何なのか、より一層の興味がわいてきた、かも。
今回のアンケートを通して
今回のアンケートでは文系の人と理系の人では考え方が違うことと同じことがそれぞれあった。
もちろん一人の人間として自分の考えがあるだろう。そのため、理系文系に関わらず一人の人間として考えが似てくる部分も出てきたと思う。
この調査での一番の発見は、理系と文系の違いだけでなく、たくさんの異なる視点から物事を考えることが重要だということ。
理系と文系がそれぞれ異なる方法で日常の物事を理解していることは、とても興味深く今までの勉強内容がどう影響しているのかも気になる。
そして、理系と文系に関わらず、個々の人間としての価値観や考え方が重要である。だからこそ、ほかの人々との対話を通して自分の持っている考え方を大切にし、相手の考えも理解できる柔軟性を持つ人になりたい。