<中編>伊集院光さんの「素手で闘う勇気」がビッグバンを巻き起こす。「100分de名著」TVプロデューサー・秋満吉彦さんに聞く、最大の見どころ

「100分de名著」が人気番組であり続ける秘訣は、解説者の方と、司会・伊集院光さんの掛け合いにある。一度でも、番組をご覧になったことがある方であれば、そう実感されるところがあるのではないでしょうか。
秋満さんも、伊集院さんの存在は決して欠かすことができない、と言います。その伊集院さんの「すごさ」というのはどこにあるのでしょうか?
>前編はこちら
プロフィール

秋満 吉彦さん
1965年生まれ。大分県中津市出身。熊本大学大学院文学研究科修了後、1990年にNHK入局。ディレクター時代に「BSマンガ夜話」「日曜美術館」等を制作。その後、ドラマ「菜の花ラインに乗りかえて」、「100分de平和論」(第42回放送文化基金賞優秀賞)、「100分deパンデミック論」(第48回放送文化基金賞優秀賞)、「100分deメディア論」(第55回ギャラクシー賞優秀賞)等をプロデュースした。現在、NHKエデュケーショナルで教養番組「100分de名著」のプロデューサーを担当。
Q2.伊集院光さんのすごさとはなんでしょうか。
A.「素手で闘う勇気」です。それが巻き起こすビッグバンが番組最大の見どころをつくります。
「100分de名著」と聞くと、司会を務める伊集院光さんの画をまず思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。そう、本当に番組に欠かせない存在なんです。
私は、2014年に先輩プロデューサーから「100分de名著」を引き継ぎました。そのときから、「教養番組」でありながら、今を生きる私たちにとって直接血肉になるような力強い番組になるよう、新たなステージを目指しているわけですが、伊集院さんに初めてご挨拶したときのことをよく覚えています。

そのとき、伊集院さんは、「僕は予習しない。番組で取り上げる名著を読まずに収録に挑ませてもらう」とおっしゃったんです。視聴者と同じ立ち位置にいることを徹底したい、というのです。
なので、いまでも収録時の伊集院さんは、毎回、VTRで用意してあるアニメーションや朗読、先生の解説だけを頼りに、番組の進行をし、コメントをしています。
これは、一歩間違えば、無知・無能な人と受け取られかねませんから、たいへん勇気がいることのはずなんです。ですが、それでも伊集院さんは、毎回、背水の陣を敷く。この伊集院さんの勇気がまずすごい。
そして、そのスタンスから驚異的な集中力を発揮し、ご自身の膨大な言葉や経験のストックから、名著につながるものをピンポイントで、そして瞬発的に探し出してくるのです。

伊集院さんからすれば、一本ずつの収録がライブのようなものでしょう。膨大なエネルギーを注ぎ込んでいらっしゃるので、収録後には、脳だけが疲れてしまって、身体の疲労とバランスを取ろうと歩いて帰られることもあるんです。
そんな伊集院さんのお相手となる名著の解説者をどなたにするか、これも考え抜きます。該当の名著やその作者について詳しく愛着を持っていらっしゃるのは必須条件ですが、それだけではいけない。
その本に惚れ込んでいつつも、客観的・批判的な考察も持っていらっしゃるかどうかという点を、私は大切にしています。惚れ込んでいながら、同時に、その熱狂を冷ます努力をする。それは、極めて難しいことだと感じます。
好きだからといって単に祭り上げたりしないバランスのことを、私は河合隼雄さんの言葉を借りて、「冷たく抱き寄せ、あたたかく突き放す」だと捉えています。

伊集院さんと解説の先生が、収録現場でことばを交わす時間は、いつだってスリリングです。
まったく予習なしで臨む伊集院さんいわく、「先生方が僕と話すのは、未知との遭遇ならぬ『無知との遭遇』だ」とのこと。その道のプロと、敢えて無知な立場で立ち向かう伊集院さんの考えが交差すると、そこにビッグバンとも呼ぶべき共鳴が起こる。そう、伊集院さんは言います。
伊集院さんのコメントが、解説者である先生を前のめりにする。この両者のぶつかり合いと交わり合いこそ、番組最大の見どころなんです。
この共鳴があると、名著にまつわる話を、単なる「知識」に終わらせず、「教養」として視聴者へ提供できるだろうと私は思っています。教養とは、自分の血肉となり一体となるもの、それが直接生きる力になっていくものです。

<前編>はこちら
<後編>はこちら
スタッフクレジット:
取材・執筆:山内 宏泰
漫画:うえはらけいた
撮影:井上 英祐