<前編>「定時」の受け取られ方が変わったように、労働市場・労働環境はどんどん移り行くもの。小説家・朱野帰子さんに聞く、これから働くために知っておきたいこと

就職活動において、ちょうど10年前くらいから、「売り手市場」(企業の求人数が多く、就職候補者が少ないこと)が続いていると言われています。さらに、もう10年ふりかえると、朱野さんが就職された頃、20年前の日本って、超「買い手市場」の就職氷河期だったのだそう。
朱野さんの代表作『わたし、定時で帰ります。』で描かれた「定時」の受け取られ方も、この数年間でずいぶん変わったように、労働市場・労働環境って、どんどん変わっていきます。
そんななかで、いま、「働く」を考えるにあたり、必要なことってなんでしょうか? 労働小説家として、「労働」について書き続けている朱野さんに、お話を聞いてみましょう。
プロフィール

朱野 帰子(あけの・かえるこ)さん
1979年東京都生まれ。2009年、『マタタビ潔子の猫魂』で第4回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞。2015年、『海に降る』がWOWOWでドラマ化される。2018年に刊行した『わたし、定時で帰ります。』が注目を集め、TBSでドラマ化されたことでも大きな話題に。他の著書に『科学オタがマイナスイオンの部署に異動しました』、『対岸の家事』、『くらやみガールズトーク』などがある。
Q1.「働く」について考えるとき、何から始めたらいいですか?
A.いまが「売り手市場」だからこそ、「自分を知る」ことが活きると思います。

私が大学を卒業して最初に入社した会社は、社員数が5人ほどの小さなマーケティングファームでした。当時はいわゆる「就職氷河期」で、超「買い手市場」。私も就職活動には苦労しました。
今になってデータを見てみると、20〜24歳の失業率が9.3%もあったんです。でも学生だった当時はそんなことわからなくて、「なんで就職できないんだろう?」といった感じでした。

私、20代の頃に過労で倒れたことがあるんですよ。それを若い世代の人たちに言うと「ブラック企業だったんですね」と驚かれるんですけど、どちらかと言えば、当時はそれが「あたりまえ」。一部上場しているような会社であっても、デジタル企業であっても、そうだったんです。
しんどくて、おかしいなと思っても、「労務管理おかしくないですか?」と言える雰囲気じゃない。
だって、人によっては100社、200社落ちてやっとのことで入った会社ですから。それに、他の環境を知らないから、そもそも「おかしい」と感じられないんですよね。これが、「買い手市場」の働き方でした。
そしてようやく、『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』という書籍が出版されたり、多くのケースから労働環境が社会問題になったりしたところに、ここ10年くらいの「売り手市場」の流れも加わって、世の中全体の労働環境が変わっていきました。

朱野帰子 著『わたし、定時で帰ります。』(新潮文庫刊)
その変化の例の一つとして、「定時」の形が挙げられます。私の代表作である『わたし、定時で帰ります。』の主人公は、”絶対に定時で帰る”ことをモットーに、ウェブ会社で働く会社員・東山結衣です。
この小説にはとても反響が大きくて、2018年の単行本刊行後、ドラマ化しないか、といくつも出版社の編集者さんにお声がけいただいたようです。と同時に、その裏には、「こんなタイトルの作品は、企画会議に出せない」という反応を示される方もいたようで…。「定時で帰る」こと自体に過剰反応する人がいる、そういう時代だったんですね。
2019年の春にドラマ化が実現したんですが、同じ時期に「働き方改革」が施行された背景も影響したのか、結果として、東山結衣の物語は多くの方に届きました。
単行本刊行から7年、ドラマ化から6年経って、いまでは、もちろん業界や会社によるとは思うのですが、「定時」が当たり前に守られるようになってきたところがあります。
こんなふうに、いろいろな影響を受けて、労働市場や環境って移り変わってゆくものです。
だから、どんな時代がきても対応できるようにしておくことが大切ですし、特にいまは「売り手市場」ですよね。学生が企業を選びやすい時代だからこそ、ミスマッチを防ぐために、できることをやっていくのがいいのかなと思います。

できることというと漠然としていますね。もし私がいま大学生になるとしたら、「自分を知る」ことに時間を使います。
具体的には、いろんなバイトなどの経験をしてみて、どこまで自分に体力があるか、向いていることは何かを知ろうとしてみる。学生のときは、きっと辞めるハードルも低いから、一番挑戦しやすい時期です。
いまの時代、きっと学生さんには情報がかなりたくさん入ってきていると思います。いろんなニュースなどが「こうしたらいいよ」「ああしたらいいよ」と言ってくると思いますが、「実際にやってみる」経験に勝るものはありません。ぜひ体を使ってみてほしい。
たとえば私の場合は、飲食店で働いたときには「意外と自分って気が利かないんだな」と思いましたし、電話が鳴らないコールセンターでバイトをしたときは「暇すぎるのは性に合わない」と思いました(笑)。
ただ、そうは言っても、すぐに判断するのではなく半年くらいは頑張ってみることも必要だと思います。「意外に順応できた」ということもあるし、苦手が克服できたらそれは自信につながりますから。
いまの時代ならきっと、「自分を知る」ことが「自分に合う会社」を選ぶための直接的なきっかけになるはず。だから、どんどん経験をしていってほしいなと思います。

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スタッフクレジット:
取材・執筆:あかしゆか
漫画:一秒
撮影:菊田 香太郎