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最終更新日:2025/4/23
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部署名カーライフサポート
仕事内容営業
簡単に言うと一番良くないパターンで2年半留年しました。(笑) 学校にあんまり行かず、日中からずっとバイトをしてました。ある時にいい歳してずっとバイトして、このまま大学中退するのも親に金払ってもらっていて、やばいなと思いました。もっと早く気づけよっていう話なんですが。(笑)ただただみんなよりも遅い年齢で入社をしたというだけですね。あと身長は高いので大型をつけて頂いたのかなと。ちなみに歳をとって入社したから仕事もできるとか、年の功があるみたいなことは全くなかったです。ただのブランクです。(笑)
もちろん触れられました。 古城モータースの面接でも聞かれました。「えーっと、年齢は、、そうだよね、二十歳じゃないもんね」みたいなリアクションです。(笑)ある意味で2年半の留年と言うのは印象に残すことができたんですが、やっぱり留年の印象はあまり良くなくて。。。でも古城モータースだけはもうそんなの関係ないから。全然ウェルカム!みたいな感じで受け入れてくれました。一回ブース行った時に社長と会ったんですが、2回目も3回目もずっと覚えてくださっていて、最終面接の前にうちに来なさいよっていうふうに言って頂いたのを覚えています。それで2年半も留年していた自分を拾ってくださった恩みたいなものを感じていて、裏切りたくないというふうに、恩を返したいなというように今でも思っています。入社してからは「2年半も何してたの?」って笑いながら先輩社員の方が接してくださったので、自分としては楽でした。引かれると困るので。
いや全くなかったです。だって車を売るなんて、全くイメージが できなかったんで。100万円200万円自分がすぐ出せって言われたら、出せないじゃないですか。そういう感覚だどうやって売っているんだろうって思いながら入社しました。恐らく入社してくる社員もほとんど同じ感覚でスタートするので、悩みが一緒で、仲良くやっているのかもしれないですね。同期や先輩でも最初のスタートが同じなんで、売れるようになっても、偉そうにしたりしない社風があるのかもしれません。そんな感じだったので「俺できるよ」みたいな雰囲気なんて全く出せなかったです。
自分の意識が途中で変わったんですけど、 営業部門はやっぱり売ることで、評価を頂けるということが間違いないと思った時に実績も変わり始めました。営業ってどうしても押し付けたりする、みたいなイメージがあるじゃないですか。でも売れないことには評価もされないですし、結果が出ないのに頑張っていてもしょうがない。そのためになんで売れたのか、なんで売れていないのかということを深掘りして考えるようになったというのも大きな変化だったのかもしれません。 もちろん押し付けて売るとかではなく、ちゃんと車の説明を丁寧にするとか、わかりやすく説明するとか、お客様に喜んで買ってもらえる営業というのを考えてやっていました。
バレーボールをやっていました。小学校の時は県で2位、中学校、高校は県1位になりました。春高バレーも出ました。バレーのエリートコースを走っていたので、当時はチヤホヤされていましたね。練習が本当にキツくて、人生で一番辛かったです。一応時代は平成だったんですが、今では表で語れないくらい、昭和のままの熱血指導でした。小学生の時の監督が厳しかったんですが、中学校には最初バレー部がなかったんですよ。でも小学校の同級生そのままみんな一緒に上がるので、やっぱりバレーしようかってなって、自分たちでバレー部を立ち上げました。そしたら2年の時に小学校の時の監督が、自分たちがバレーをしているという噂を聞きつけて、練習に来るようになっちゃったんですよ。そこからまた悪夢の始まりで、、、結局強くはなって、実際県で優勝したりしたんですけどね。中学までめちゃくちゃキツすぎて、高校も強豪校だったんですが、練習が楽に感じるくらいでしたね。(笑)なので人生で一番キツいことを小学、中学で経験しているので、多少何かあっても、全然平気ですね。あの時に比べたら。そういう意味では本当に鍛えてもらってましたね。感謝してます。(笑)