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最終更新日:2025/4/1
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部署名ビジネスエンジニアリング本部
「自分の会社が好きだ。」高校時代の友人に久々に再会し、近況を話していた時です。私の言葉に友人は「え…」という顔をしました。「会社の同期は好きだけれど、会社を好きだと思ったことはない」と友人は続けました。現代社会では会社愛・愛社精神という言葉は死語になりつつあります。それどころか、所属する集団や組織についての愛など、前時代的、反知性的な印象を伴うものではないでしょうか。高校時代、部活動にもろくに参加せず、飄々としたキャラクターで過ごしていたので「あの四宮がまさかこんなことを言い出すとは」という感情も友人の驚きを倍加していそうです。私は会社が好きです。しかし、そんな私もオースビーという会社に出会っていなければ、会社というものを嫌っていたのではないかと思います。
「集団から距離を置いて生きていたい。」大学までの私はずっとそう思ってきました。集団で生きると、必ず自分の意に沿わないことをせねばならなくなる。それが集団のために必要なことならまだしも、集団にマイナスになることに関する同調圧力に違和感を覚えながらも合わせてしまう、などという卑しい自分は見たくありませんでした。波風を立てないために自分を低めたくはない。誇り高く主体的に生きたいとは思いながらも、しかし孤高を貫く強さもない私は「いかに卑しいことに巻き込まれずに生きていくか」に悩んでいました。結局、私は集団に対して飄々と無関係を装って生きていく処世術を身につけました。しかし、会社に入れば、さすがに無関係を装うことはできなくなることはわかっていたので、正直に言うと会社に入りたくありませんでした。
人の主体性や気高さをどう確立するかは、古代から人類が悩んできたテーマでもあります。人類は「自然権」や「基本的人権」という概念を生み出し、この概念に則って現代社会は運営されています。これらは侵してはならない絶対の権利とされています。小学生の頃この権利について教わった際、驚きました。何に驚いたかというと、この権利は不断の努力によって保持されるものだと憲法上明記されていることです。主体性や気高さのような人の尊厳は不断の努力によって保持されている。社会の真実に触れた気持ちになりました。しかし、集団になると人はこの不断の努力を継続しない方向に流されていきます。それが人の本性なのかもしれません。無関心を装う私の処世術も、不断の努力を拒否した結果です。
企業社会には人から主体性と気高さを失わせる圧力が二つの側面から働いています。一つ目は前述した集団の中でうまく生きていこうとするために個人の内側から生まれる主体性放棄圧力。もう一つの圧力は集団が単一目的追求集団になることによって生まれる主体性放棄圧力です。所属員に単一目的の達成のみを求める圧力が企業では働いています。稼ぐことを目的として経営をせざるを得ない状況に企業が晒され続けているからです。一つ目の圧力に抗うためには、目的達成に当事者となる必要があります。周囲の目を気にして自身の振る舞いを右往左往させることなく、目的達成に真っ直ぐ向かおうとする努力が必要です。二つ目の圧力に抗うためには、目的達成のためには何をしてもよいという立場に立つのではなく、どう目的達成をするべきかを問い直し、本来を考えていく努力が必要です。「稼げれば」「儲かれば」「売れれば」何でも良いという思考に押し流されずに立ち止まる努力です。社会人が主体的に気高く生きていくためには二つの圧力に抗う不断の努力を続けなければなりません。
私が会社を好きになったのはなぜか。それは私の入った会社、オースビーが二つの圧力に抗う不断の努力を全社員で続ける会社だからです。オースビーは社員全員が会社の代表者という自覚を持ち、会社を背負って仕事をしています。組織を代表者として背負って物事を考えるためには、目的達成の当事者にならなければなりません。社員全員が当事者として協働することで、一丸となって圧力に抗っています。だからこそ、私は自分の主体性と尊厳を失わずに生きることができています。これまで私はこのありがたい環境を享受してきました。しかし、我々が不断の努力を行わなければその環境はすぐに霧消します。オースビーを本当に背負い、オースビーがもっと主体性と気高さを追求できる会社にしていきたいと思います。