海外進出から30年、徐々に地位を高める。 まず、増永さんに「世界から注目を集めたきっかけ」を聞いてみました。大きな転機となったのは、眼鏡業界で最も注目を集める国際展示会、フランス・SILMO展での審査員特別賞「シルモドール」の受賞だったといいます。しかし、それは増永眼鏡が海外に進出してから、30年以上も後の出来事でした。 「世界への第一歩を踏み出したのは1980年代です。ヨーロッパのパートナー(代理店)が、私たちのつくる眼鏡フレームに興味を持ってくださり、少しずつ出荷数を増やしていきました。しかし当時は、デザイン面で現地のお客様の要望に応えきれているとは言い切れず、苦戦していましたね。それでも、なんとか粘り強く展示会などに出品を続ける中で、私たちは“品質の増永”としての認知を獲得していきました」 80年代にぶつかったデザインの壁についてもう少し詳しく聞いてみると、「日本と海外のトレンドの違いが大きかった」のだと言います。眼鏡にも洋服と同じようにトレンドがあり、そして、そのトレンドの中心はやはりイタリアなどのヨーロッパ。今のように何でもすぐ調べられる時代ではなかったこともあり、現地の最新情報を入手するのも一苦労だったとか。しかし、「ヨーロッパのパートナーから徐々にデザイン面のアドバイスをいただくようになり、私たちのものづくりに反映し続けていった結果、2013年に栄えある賞をいただくことができたのです」と増永さんは話してくれました。 デザインのイタリア、品質の日本、価格の中国と呼ばれていたが、ビジネスがグローバル化する中、その差異は少なくなってきているという。
200以上にわたる工程も、販売も、自分たちの手で。 その後、増永眼鏡は3年連続でシルモドール賞を獲得。世界の眼鏡関係者から一目置かれる存在になったのだそうです。ちなみに、今回の取材では2013年にシルモドール賞を受賞した『MASUNAGA GMS 2013 Limited』を実際に見せてもらいました。「レンズの周囲には竹を使い、耳にかける部分は18金とチタン合金の直接接合という私たちにしかできない特殊技術を採用しました。肌当たりが柔らかく、バネ性もあるので、掛け心地の良さはピカイチです」と増永さん。細かな気遣いの行き届いたものづくりにメイド・イン・ジャパンの誇りを感じます。 3年分のシルモドール賞のトロフィーと受賞作品。どれも品を感じます! こうしたきめ細かなものづくりができる理由についても聞いてみると、「増永眼鏡では200以上にわたる眼鏡づくりの工程をすべて社内で管理・製造し、さらにお客様に製品を直接届けることができる直営店も持っています。私たちより大規模な会社はたくさんありますが、200人弱の社員規模の会社でここまで自分たちで全部やっている会社は、世界を見渡してもほとんどないのでは」と実直なものづくりの姿勢について答えてくれました。
「世界のMASUNAGA」の歴史は、「地元のために」から始まった。 世界にも高く評価されるものづくりは、人づくりから始まると考えている増永眼鏡。その原点は、創業者である増永五左衛門の時代までさかのぼると増永さんは言います。 「五左衛門は、寒さの厳しい福井の農村に暮らす人々がもっと豊かに生きていけるよう、農閑期に地元農家が収入を得るための方策として眼鏡産業を興しました。手伝いに来てくれた若者たちには学問教育も行い、眼鏡職人として成長したら独立も認めました。自分たちの会社が儲かるためではなく、あくまで福井の地が豊かになるため。だからこそ、福井県は100年後の今でも世界の眼鏡の三大生産地の一つであり続けられているのだと思います」 創始者の増永五左衞門(左)と明治時代の勤務風景 2023年10月には、五左衛門の半生を描いた映画「おしょりん」も公開されました。「地元のために」から始まった長い年月の積み重ねの上に「世界MASUNAGA」の眼鏡はあるのですね。と、ロマンのあるお話に感動していたら、増永さんは「とはいえ、やっていることは地道な眼鏡フレームづくりですよ」と淡々と話し始めました。「100年以上も会社を続けられたのは、レンズに比べて眼鏡のフレームは構造的な進化が少なかったからだと思うのです。シンプルかつ繊細な技術を要する製品だからこそ、私たちのような地域の中小企業でも世界と戦えているのだと思います」と増永さんは常に謙虚です。 現在の生産現場の様子。ものづくりの姿は時代を超えて変わりません。
眼鏡の掛け心地と同じく、経営もバランスが大切。 ものづくり、人づくりの話を聞いた上で、今度は会社経営のこだわりを質問してみました。すると、増永さんからは「バランスかな」という答えが返ってきました。 「眼鏡の掛け心地もバランスが大切なように、会社経営も同様です。たとえば、私たちは眼鏡を企画する際も品質とデザインと価格のバランスを追求しています。また、生産においても自社製品だけでは在庫リスクも大きくなりますし、業界や世界の流れを学ぶ機会も減ってしまうため、OEM(委託生産)にも力を入れています」。 増永さんの話では「30のリソースがあったとして、1×1×28は28ですよね?でも、バランスよく10×10×10にすると1,000になる。まあ、これは数字遊びですが、どうすれば掛け合わさった時に最大化できるかは常に考えています」と増永さん。さらに、その時その時の時代の変化やユーザーに合わせて、そのバランスも変え続けるとのこと。 「頑なに伝統を守り続けていっているわけではありませんが、100年続いた会社を引き継いだからには次世代につないでいきたいと思っています。増永眼鏡の100年の歴史は、地道なものづくりとチャレンジのくり返し。僕の世代でも、出来ることをやっていきたいですね」