ご縁に導かれてスタートした地元での就職。
小学1年生から卓球を始め、クラブチームで練習に励んでいた中尾さん。高校と大学は県外の強豪校に進学し、大学卒業後は三重県の実業団チームに所属。そこで5年間プレーし、引退を考えていた頃に百十四銀行のOBの方から「うちでコーチをしないか?」といったお誘いがあったそうです。
「ちょうど実家の神社を継ぐため、香川県に戻ろうかと考えていた時期でしたし、私自身も良い話をいただいたと思いました。ただ、就任当時は卓球部の活動は業務としては認められていない状況。選手は夕方まで銀行業務に励んだ後、練習に参加していました。私はそうした選手たちの頑張りを見ながら、卓球の指導の他に何かもっと力になれることはないだろうかと考えていた時期でもありましたね」

人事の谷さんにその頃の状況を尋ねると「まさに、銀行としても卓球部やバドミントン部などの実業団の運動部の活動をもっとサポートしていこうというタイミングでした。スポーツを通じても地域に貢献したいという思いのもと、行内の様々な制度や環境を見直していたのです」という答えが返ってきました。
その結果、卓球部に所属する行員は午前中いっぱいが銀行業務。午後は、仕事として卓球部の練習に取り組むことができるように。「選手の練習に対する意識も大きく変わりましたね。業務時間として認められたことでより真剣に取り組むようになったと思います」と中尾さん。また、中尾さん自身も銀行の勤務形態が変わったことで働き方に変化が起きます。「それまではコーチとして自主的に選手の情報発信を手伝う程度でしたが、2023年の監督就任をきっかけに行員となり、そうした広報活動を今度は本業として挑戦することになりました」と話してくれました。卓球部の監督業務と並行して、午前中は経営企画部広報・SDGs推進室のメンバーの一人としての生活も始まったのです。さらに、百十四銀行が働き方改革の一環として副業制度も導入。「実は、その第一号が実家の神職を副業として申請した中尾さんなんです」と人事の谷さんが教えてくれました。そう、ここから銀行×卓球×神職という一見何のつながりもないような人生三刀流の忙しい日々が本格始動しました。
