<後編>その「好き」、ラベルや思い込みに左右されているかもしれません。物理学者・橋本幸士さんに聞く、「好き」の見極め

プロフィール

橋本 幸士(はしもと・こうじ)さん
1973年生まれ、大阪育ち。2000年京都大学大学院理学研究科修了、理学博士。カリフォルニア大学サンタバーバラ校、東京大学、理化学研究所などを経て2012年大阪大学教授、2021年より現職。専門は素粒子論、弦理論、理論物理学。著書に『ディープラーニングと物理学』(共著)、『超ひも理論をパパに習ってみた』(講談社サイエンティフィク)、『物理学者のすごい思考法』(インターナショナル新書)など。多数の講演のほか、映画監修や物理芸術など多様な社会活動も行っている。
Q3.文系・理系をはじめ、自分の適性はどう判断すればいいですか?
A.シャープに狭めすぎず、「好き」を本質的に見極めてみてください。
研究にせよビジネスにせよ、どこかの世界で一生懸命頑張ろうと思うとき、自分が専門とする領域や分野を見定めたいですよね。その第一歩として、多くの人が用いている尺度に「文系」「理系」という区分があります。
みなさんはどのように、文系・理系を選択しましたか?
たいていの人は「数字や計算がからっきしだめな文系人間で」「根っからの理系です」など、明快に自己規定するかもしれません。ですが、そう一概に決めつけてしまうのは、もったいないことだと思います。

そもそも、文系と理系は何が異なるのでしょうか。たしかに、大学は文系学部と理系学部に分かれていて、両者では学問的なアプローチや手法を別にすると考えられがちですが、これは事実ではないんですよね。実際の違いはそこになく、むしろ、研究対象に違いがあるだけです。
理系分野である物理学や生物学での研究対象は自然や自然現象であり、文系分野なら対象が人間や社会になるというだけ。つまり文系と理系で、学問の対象は異なりますが、実際にやっていることには共通していたりすることがあります。
たとえば、法学と、私が専門にしている物理学を例に考えてみましょう。
私は、日本の法体系の詳細については正直さほど興味がないのですが、自然や物理現象の中には当然法則があり、それを見出すことが物理学の研究の目的の一つです。そう思うと、両者の研究対象は違うけれども、「法則を見つける」というアプローチは一致している。
自分の関心領域における法のあり方を探っているという点でいえば、物理学者の私と法学者のしていることはかなり近しいかもしれません。
そう思うと、思い込みやステレオタイプな考え方に縛られて、興味や関心を狭めてしまわないようにしたいものです。
文系と理系の違いは、アプローチ・手法の違いではなく、研究対象の違い。この事実を知っているだけでも、一つの助けになるんじゃないかなと思ったりします。

思い込みって、自分のなかにいつの間にか生まれているものだから、気付きづらいですよね。こういう話は、文系・理系問題にかぎりません。
振り返ってみれば、10代の頃、私は自分の「好き」を誤解していました。高校時代まではずっと、数学が好きだし得意だと信じて疑わなかったんです。
『大学への数学』という数学の雑誌があって、そのなかでも選り抜きの難しい問題を探して、何時間もかけて解くのがとにかく楽しかった。大学へ進学した時点では、数学を本格的に学びたいと考えていました。
ところが大学でちょっと学んでみると、数学という学問は難しい問題を解くことが本質ではないとすぐ気づきます。足すとか引くとか記号を自分で発案するような学問なんです。数字と記号のみを使って思考を進め、自分の頭の中を論理だけで構成する学問とも言えます。
それに、高校で学んだ数学って、大学の物理なんですよ。
そう思うと、私は「数学」が好きなんじゃなくて、「物理」の本質にある、問題を解いていくことに喜びを感じるタイプだったことに気付きました。そこから私の関心は、自然から与えられたクエスチョンを解いていく物理学のほうへと傾き、そちらを専門にすることにしました。
このエピソードからも、学問のラベルという表面的な分類にとらわれず、本質を見ることが大切だと伝わるでしょうか。何が・どう好きなのか、「好き」を見極めてもらえたらと思います。

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スタッフクレジット:
取材・執筆:山内 宏泰
漫画:倉田けい