広島大学

広島大学
学長

越智 光夫

越智 光夫写真

1952年、愛媛県生まれ。広島大学医学部卒業。医学博士。1983年からヨーロッパに留学。島根医科大学、広島大学大学院教授等を経て、2015年4月より現職。

没頭は、医療の現場から。やりがいが熱量を生んだ。

明確な夢や目標が漠としていた学生時代

私は学生時代何かに一心に“没頭”したという記憶があまりない。自ら、何かに夢中になろうと意識したこともない。“進んだ道で頑張ればいい”というのが信条だ。
遡って、学生時代について語ろう。私は12歳から4年間、通学の都合で寮生活を経験した。友人に恵まれたこともあり、勉強よりも自由時間にレコード鑑賞や卓球などで過ごした時間が心に残っている。高校2年になると親戚の家に移り、進学先について考え始め、「将来は、医者か新聞記者に」と思うようになった。デスクワークには向いていないという自覚があり、何か身体を動かせる仕事に就こうと考えたのだ。受験では得意な数学が受験科目にあった広島大学の医学部と早稲田大学の政経学部を受け、最終的に、広島大学を選んだ。
当時の私は、漠然と「医者はやりがいのある職業だろう」と考えていた。医師で作家でもある北杜夫氏の著作などにも影響を受けたと思う。ただ、具体的な目標は持たないまま医学生時代を過ごした。ポリクリ(臨床実習)を経ても、何科に進むか決めかねていたが、医師免許を取得した後に整形外科に進んだ。

やりがいと志を見つけた松山市民病院時代

「これだ」と思い始めたのは、現場に出て2年目のこと。私は愛媛県の松山市民病院にいて、朝から晩まで、救急を含めて本当にさまざまな患者を診た。治療には多くのやりがいと喜びを感じたが、同時に勉強の必要性を痛感した。初めて「これは、もっと勉強せんといかん」と思った。終業後も休憩時間も医学書や専門書を手放さない私の様子を見て、上司の坪井誠司部長から「日本中の同期の中で日本一の整形外科医になるつもりか?」と言われたこともある。それだけ熱心に見えたのかもしれない。
こうした経験を経て、松山を離れる頃には、三つの志を抱くようになっていた。一つは、脊椎、手、膝、股関節など、どこかの部位のスペシャリストになること。二つ目は、博士号を取るためではなく、自分がやりたいと思える研究をすること。三つ目に、留学して知見をさらに深めること。
その後どこにいても、この三つの志を忘れることはなかった。私はいつも、一生懸命だった。やりがいと想いの深さがあれば、行動には自然と熱量が伴うものだから。

“その先の頑張りは”は自分次第

年月を経て、自分がまさか大学の学長になるとは思っていなかった。学長選への推薦を受け、結果的に承ったものである。人は一人では生きていけない。進むべき道への扉は、往々にして、他人が開く。
ただ、その扉の先へ踏み出した後に、どのくらい頑張るかは自分次第である。失敗はあっても、後悔はしない。選択と挑戦を繰り返し、ただ前を向いて歩んできた。それはきっと、これからも変わらないのだと思う。

学生への応援メッセージ

「没頭できることが見つからない」「夢中になれることがない」と焦りを感じている人がいるかもしれません。そういう人には、自分の周辺だけに拘らず、環境を変えてみることをおすすめします。例えば、今暮らす場所とは違った文化や価値観を持つ外国や異なる地域で生活してみる。必ず、違った景色と経験が得られるはずです。また、広い世界に目を向けるためにも、英語を学んでおくことは、きっとプラスになると思います。