山田航士さん
島根大学材料エネルギー学部3年[取材時]
島根県雲南市出身。中学生のときに万年筆に魅了され、独学で修理技術を習得。現在は島根大学材料エネルギー学部で学びながら、松江市にある老舗文具店を拠点に万年筆の修理、調整職人として活動している。
子どもの頃から文房具が好きだった僕が、万年筆の魅力に触れたのは中学生のとき。きっかけは、通学路にあった松江市の老舗文具店「はらぶんパピロ21」というお店です。ショーケースに飾られていた万年筆に一目惚れし、「かっこいいな」と何時間も眺めている日もありました。
「そんなに好きなら誕生日にプレゼントしてあげるよ」そう言って親友が贈ってくれた、一本の万年筆。手頃な品でしたが、驚くほど滑らかな書き心地に感動しました。そこから本格的に万年筆の世界に傾倒。構造が知りたくて安価な万年筆を購入して分解してみたり、海外から本や論文を取り寄せて読んだり、万年筆に関する知識を深めていきました。
「そんなに好きなら誕生日にプレゼントしてあげるよ」そう言って親友が贈ってくれた、一本の万年筆。手頃な品でしたが、驚くほど滑らかな書き心地に感動しました。そこから本格的に万年筆の世界に傾倒。構造が知りたくて安価な万年筆を購入して分解してみたり、海外から本や論文を取り寄せて読んだり、万年筆に関する知識を深めていきました。
学びを深めていく中で、いつしか、万年筆を仕事にすることを夢見るように。しかし独学には限界があります。そんな中、松江市内に老舗専門店「中屋万年筆店」(現在は閉店)があることを知り、その日のうちに訪問しました。そこで卓越した万年筆修理職人として知られた店主の久保勝彦さんにお会いし、その場で弟子入りを志願。しかし、「これから万年筆の時代は来ない」と強い口調で諭され、追い返されました。「この世界の厳しさを背負わせたくない」という思いやりからの言葉だったと思います。
それでも諦められず、「ここでしか道は拓けない」という強い思いから、幾度となく久保さんの元へ足を運びました。毎回「帰れ」と言われながらも、その仕事ぶりや道具づかいを観察し、本やインターネットでは得られない修理の技術を少しずつ学ばせていただきました。久保さんはお亡くなりになりましたが、未だ背中も見えない、憧れの師匠です。
それでも諦められず、「ここでしか道は拓けない」という強い思いから、幾度となく久保さんの元へ足を運びました。毎回「帰れ」と言われながらも、その仕事ぶりや道具づかいを観察し、本やインターネットでは得られない修理の技術を少しずつ学ばせていただきました。久保さんはお亡くなりになりましたが、未だ背中も見えない、憧れの師匠です。
高校卒業後は、海外で本格的な技術を学ぶー、そんな選択肢も浮かびました。ですが、手書きの機会が減った時代だからこそ、「時代に合った万年筆の開発」が必要なんじゃないか、そう考え、大学進学を決意。現在は、大学で万年筆の設計に必要な原材料の知識について学びながら、毎週土曜日には「はらぶんパピロ21」で万年筆の修理、調整を担当しています。
万年筆は、同じ一本でも持ち主によって表情が変わります。ペン先の削れ具合、反り、割れの開き方等からは、利き手や筆圧、ペンを握る角度、さらには持ち主の性格までもが見えてきます。私はお客様のご要望に耳を傾け、万年筆に残る痕跡を手がかりに、その人の使い方に合うよう修理をほどこします。仕上がりに「ありがとう」と言っていただけたときが、万年筆と出逢ってよかったと心から思える瞬間。万年筆を通じて人の役に立てるという感覚に、日々、充実感を感じています。
夢は自分のお店を持つこと、そして独自の「山田式万年筆」を開発することです。この先も、道は平坦ではないかもしれません。しかし、「万年筆が好き」という気持ちはこれからも、ぶれることはありません。
万年筆は、同じ一本でも持ち主によって表情が変わります。ペン先の削れ具合、反り、割れの開き方等からは、利き手や筆圧、ペンを握る角度、さらには持ち主の性格までもが見えてきます。私はお客様のご要望に耳を傾け、万年筆に残る痕跡を手がかりに、その人の使い方に合うよう修理をほどこします。仕上がりに「ありがとう」と言っていただけたときが、万年筆と出逢ってよかったと心から思える瞬間。万年筆を通じて人の役に立てるという感覚に、日々、充実感を感じています。
夢は自分のお店を持つこと、そして独自の「山田式万年筆」を開発することです。この先も、道は平坦ではないかもしれません。しかし、「万年筆が好き」という気持ちはこれからも、ぶれることはありません。